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伊原春樹コラム

「ボークを誘発? そんなことするわけない」ロッテ・金田正一監督との間で起こった思わぬ“トラブル”/伊原春樹コラム

 

月刊誌『ベースボールマガジン』で連載している伊原春樹氏の球界回顧録。2022年1月号では川崎球場時代のロッテに関してつづってもらった。

ディアズに挑発されたが……


73年から78年、90年から91年と2度、ロッテを率いた金田監督


 ロッテと言えば金田正一監督も印象深い。金田さんは1990年、91年と2度目のロッテ監督を務めていたが、そのときマイク・ディアズという外国人打者がいた。ハリウッドスターのシルベスター・スタローンに似た風貌で「ランボー」の愛称で親しまれた右のパワーヒッターだったが、性格も荒っぽい。あるとき死球でファーストへ歩いてきたディアズが西武ベンチに向かって「イハラ、バカ、バカ」と挑発してきた。いくらなんでもバカはないだろうと、チェンジになって三塁コーチスボックスに向かうとき、思わずロッテベンチに「ディアズを出せ!」と食ってかかってしまった。すると、金田さんが「どうした?」とやってきた。理由を話すと金田さんは「申し訳ない。ディアズにはよく言っておく」と謝ってくれた。てっきり「伊原、何だこのやろう」と反撃されるかと思っていたが、うまくその場を収めてくれた。

 さらに私が西武コーチ時代、ハワイへ優勝旅行に行った際、名球会の方々も同地を訪れていた。家族と食事に出かけたら、その店でちょうど金田さんらが卓を囲んでいた。金田さんは帰りがけ、私たちのもとにやってきて、まだ小さかった子どもに「小遣いだ」と言って、100ドル札を渡してくれたこともある。

激しく球審に詰め寄って


90年6月23日の西武戦で審判に猛抗議する金田監督


 だが、金田さんとは思わぬ“トラブル”が起こったこともあった。90年6月23日の西武対ロッテでのことだ。ロッテが6対5と1点リードで迎えた7回裏、西武の攻撃で二死二、三塁の場面だ。打者・田辺徳雄のカウントは1−1。このとき、三走のデストラーデがスルスルとホームスチールの構えを見せるフェイント。セットポジションに入りかけていたマウンドの園川一美は慌ててホームに投げてしまった。セットから完全静止なしの投球で、高木球審は直ちにボークを宣告し、デストラーデのホームインを認めて同点となった。

 しかし、金田監督は収まらない。「園川は低い位置でいったんセットに入っているじゃないか!」と激しく高木球審に詰め寄り、抗議を受け付けない同球審にパンチ一発、足蹴りを二発、三発……。退場を宣告されたあとも食い下がり、マウンドに行って園川のフォームをマネしようとし、押しとどめられると今度はボールとグラブを審判団に目掛けて投げつけ、全選手をベンチ裏に集合させた。約1分後に提訴を条件に試合は再開されたが、田辺の三塁強襲安打で西武が逆転勝ちを収めた。

熱パの仕掛け人としての闘志


 試合中に金田監督が抗議したのはボークの判定についてだったが、抗議が執拗だった理由はなんと「伊原三塁ベースコーチがコーチスボックスを出てスタートを切るマネをし、ボークを誘発させた」というものだった。だが、私は一切、そんなことはしていない。それ以前に辻発彦が三塁に来たときも、ホームスチールの構えをさせていたから、園川はマウンドで意識していたのだろう。デストラーデのとき、私は園川がプレートを外すか外さないか、注視していた。園川はデストラーデの動きに惑わされ、外さずに投げたので、私はすかさず「ボークだ!」とアピールしただけのこと。スタートを切るマネをし、ボークを誘発させることなんかするわけがない。

 金田監督には結局「出場停止30日、制裁金100万円」の厳罰が下された。ただ、12年ぶりに監督に復帰した金田さんには勝利への執念があったからこそだったのだろう。西武の天下が続き、「パ・リーグを面白くしたい」と叫び続けていた金田さん。6月6、7日には川崎球場で西武を連破。西武はそのまま8連敗を喫してオリックスの急追を許していた。騒動があった日もデーゲームでオリックスが勝利しており、西武は敗れればその年初めて首位を明け渡す状況だった。「元祖・熱パの仕掛け人」としては何としても、ロッテが勝って首位逆転劇を演出したかったはずだ。金田さんの思いも透けて見えた出来事だった。

写真=BBM
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