週刊ベースボールONLINE

首都大学リポート

高校時代の大きな挫折を乗り越えて「大学日本一」にこだわる東海大・吉田元登/首都大学リポート

 

「自分だけ甲子園に行けなかったな」


東海大・吉田元登は四番・三塁で先発した帝京大2回戦で5打数5安打の活躍を見せた


【5月7日】2回戦(東海大2勝)
東海大12−2帝京大

 東海大の主砲・吉田元登(4年・東海大相模高)は高校時代に大きな挫折を経験している。

 吉田は2年秋、四番・三塁手として関東大会4強進出に貢献した。翌春のセンバツ甲子園出場を決めていたが、大会1カ月前、走塁練習中に左足を骨折。全治半年の診断により、甲子園の土を踏むことができなかった。チームは4強進出。吉田は無念を味わっている。

「両親や祖父がとても悲しんでいましたし、自分も心がくじけてしまいました。それに夏の大会にも間に合わないと聞いて、本当に『野球を辞めようか』とまで考えました」

 それでも吉田はあきらめることなく、リハビリに励んだ。

「左足に負担をかけないようにスキーブーツのようなものを履き、イスに座った状態で素振りをしたり、スポンジボールを打ったり。もちろん、筋肉が落ちないようにウエートトレーニングも欠かしませんでした」

 4月下旬には歩けるようになり、6月中旬には練習に復帰。

「車イスから松葉杖。その松葉杖が片方だけになり、歩けるようになってからは『行けるかも』という気持ちになっていました」

 執念は実を結ぶ。夏の北神奈川大会を前に行われた大阪桐蔭高との練習試合で柿木蓮(日本ハム)からインコースのストレートをレフトへ、横川凱(巨人)からは真ん中の真っすぐを左翼へ運び、2本塁打を記録。この活躍が認められ、三塁の定位置にカムバックした。

「守備と走塁に関しては難しい部分がありましたが、また野球ができる喜びを感じていました」

 3年夏の北神奈川大会では相模原高との準々決勝で本塁打を放つなど五番、六番で先発を任された。しかし、準決勝で慶応義塾高に敗退し、甲子園の道は断たれてしまった。「本当に悔しくて、『自分だけ甲子園に行けなかったな』と思いました」。

「残りの試合は全部、勝ちたい」


 東海大には「日本一とプロ入り」という新たな目標を立てて入部。1年時からリーグ戦出場を果たすが「1年のときは先輩に付いていくのがやっとで、2年時はコロナ。昨年も結果を出せませんでした」。

 今春もシーズン序盤はなかなか安打が出ず「心が折れかけていた」と言うが「最終学年となり『チームが勝てば良い』と意識が変わり、打てないときも粘って四死球で出塁することを考えていました」。そして、第3週の日体大戦に勝ち点を落としたあとのことである。

「井尻陽久監督から『インコースに詰まっているから、払え』とアドバイスされました。それで、払うためにフォームを見直し、左肩が内側に入りがちだったので体の軸を意識し、自然体で立って構えるようにしました」

 打撃の調子が上向きになった第6週の帝京大2回戦(5月7日)では、5打数5安打(1四球)。8回裏の第6打席では、ライトへ8回コールド勝ちを決める適時打を放った。

「アウトコースの低めのチェンジアップで、これまでなら空振りしていたコースだったんですけれど、うまく拾うことができました。これもフォームを修正した成果だと思います」

 前週、自力優勝の可能性が復活した東海大。この勝利で勝ち点2に積み上げ、吉田は「ここまで来たら、という気持ちがあるので、打撃はもちろん、走塁や守備でも貢献し、残りの試合は全部、勝ちたいです」と話した。

 大学卒業後の進路について、プロ志望届を提出するかは考慮中。一方で、大学在学中のもう一つの目標である「日本一」へのこだわりは強い。吉田が経験した全国大会は、1年時の大学選手権2回戦(対宮崎産業経営大)のみ。七番・DHで出場も「あのときは足が震えました」と3打数無安打に終わっている。もう一度、日本一を目指すステージに立つ。吉田はバットでチームに貢献していくつもりだ。

取材・文=大平明 写真=BBM
週刊ベースボール編集部

週刊ベースボール編集部

週刊ベースボール編集部が今注目の選手、出来事をお届け

関連情報

みんなのコメント

  • 新着順
  • いいね順

新着 野球コラム

アクセス数ランキング

注目数ランキング