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プロ野球回顧録

与田剛、佐々岡真司、佐々木主浩…野茂英雄だけじゃない! 新人大豊作だった1990年【プロ野球回顧録】

 

1990年は“野茂イヤー”と言っても過言ではない。ただし、同年入団の新人は、もちろん、近鉄・野茂英雄だけではなく、のち各球団の主力に成長する多くの選手がプロ入りし、1年目から活躍し話題となった大豊作年でもあった。

セは与田対佐々岡



 8球団が競合した近鉄・野茂英雄ほどの評価ではなかったが、ドラフト前から即戦力候補と注目されていたのがNTT東京の150キロ右腕・与田剛だ。亜大時代は目立った活躍はなかったが、社会人2年目から急成長し、中日・星野仙一監督が「将来性は野茂より上」とほれ込んだ。

 1位指名で入団し、当初は先発ローテ入りとも言われたが、キャンプでは故障もあってトーンダウン。オープン戦で150キロ台を連発して再び評価を上げ、郭源治の故障で空いていた抑えに白羽の矢が立った。

 開幕の大洋戦(ナゴヤ)では延長11回無死一、三塁で登板。気迫を前面に出すピッチングで、最速152キロの真っすぐを投げ込み、投ゴロのあと2三振でピシャリと抑えた(試合は5対5の引き分け)。試合後、「源治さんがいないんだから、ああいう場面投げなきゃいけないでしょ」と話していたが、常日ごろ「もし打たれたら前の人の勝ち星を消してしまうから」とも話す責任感の強い男でもあった。

 最終的には31セーブで最優秀救援投手に。球速は8月15日の広島戦(広島)で、当時の最速157キロを出したが、「(球速)表示については見ないようにしています。変な色気が出ますから。だから歓声とかで、150キロちょっと出たかなとか感じるんです」とも話していた。


 開幕戦で、与田のあと、11回裏に登板した大洋の投手が、東北福祉大から1位入団した佐々木主浩だった。187センチの大型右腕で、試合後、自身のスピードガン最速が148キロ、与田が152キロと聞いて「おかしいな。与田さんより俺のほうが速いと思ったんだけどな」と悔しがっていた。この年は先発、リリーフが半々で14試合の登板、2勝4敗2セーブに終わっている。

 入団時、あこがれの存在にカープの先輩・津田恒美を挙げたのが、佐々岡真司。NTT中国からドラフト1位で広島入りし、エースナンバーの18をもらった右腕だ。普段はおとなしく、おっとりしていたが、いざマウンドに上がると、「とにかく逃げるのが嫌。攻めの投球を心掛けています」と一変。4月12日の大洋戦(横浜)で初登板初先発初勝利を飾った。その後、チーム事情で先発、抑えとフル回転し、連続セーブポイントの日本記録17試合(当時)もマーク。最終的には44試合に登板し13勝11敗17セーブ、規定投球回にも到達し、防御率3.15と好成績。新人王は与田に譲ったが、セの会長特別賞を受けている。佐々岡は、真っすぐも150キロ近かったが、スライダーがよかった。達川光男捕手も「困ったときはスライダーだった。それで抑えてしまうんだから大したもの」とよく話していたほどだ。

広島・佐々岡真司


 シーズン中、同じNTT出身の新人で意識したのか、よく与田を引き合いに出し、「きのうは与田さんに見せつけられましたから、きょうは僕が見せてやらないと」とか「あの人には負けたくない」と言っていた。2人は都市対抗で対戦経験があり、佐々岡は三菱重工広島の補強で投げ勝っている。

 5月13日の阪神戦(長岡市営)で5本塁打を浴びての完投勝ち(12対5)したのが、ヤマハからドラフト1位でヤクルト入りした西村龍次だ。野村克也監督は、自主トレでは「体が硬い」と酷評していたが、キャンプ後半になると「こりゃ野茂より上かもしれんぞ」と称賛を始めた。粘り強い投球が身上で10勝7敗1セーブをマークしている。

ヤクルト・古田敦也


 野手ではトヨタ自動車から2位でヤクルト入りした古田敦也。88年ソウル五輪の正捕手でもあった。当初、野村監督は「メガネの捕手はいらない」と指名を渋ったとも言われるが、キャンプから正捕手候補として注目していた。ただ、のちの取材で「最初はベンチで俺の近くに置いてしばらく研修をするつもりだったが、(正捕手だった)秦(真司)のリードがあまりにひどく、嫌になって」と明かすように、4月末からスタメン起用した。打撃はまだまだ力不足で打率.250、3本塁打に終わったが、肩は超一級品。リーグトップの盗塁阻止率.527で、いきなりゴールデン・グラブ賞に輝いている。

8連続奪三振の潮崎



 パではソウル五輪で野茂とともに銀メダル獲得に貢献した右腕が躍動した。松下電器から西武にドラフト1位で入った潮崎哲也だ。童顔の甘いマスクながらマウンド度胸満点。リリーフからスタートし、7月5日のオリックス戦(西宮)では3回途中からリリーフ登板し、8連続三振を奪っている。秘密は「僕の商売道具です」と語る落差20センチのシンカー。分かっていても当たらない魔球だった。43試合に投げ、7勝4敗8セーブ、防御率は1.84と圧巻だ。リーグ優勝、日本一と、ともに胴上げ投手となったのも、ベンチの厚い信頼感ゆえだ。


 ドラフト前、「プロならどこでもいい」ときっぱり言い切っていたのが早大からドラフト1位でロッテに入団した小宮山悟。神宮20勝の実績ながら、快速球があるわけでもなく、「1位でなくとも」の声もあった。しかし、抜群の制球力と多彩な変化球でオープン戦のルーキー大賞にもなった。「狙っているのは1試合の最小投球数とか、玄人が好みそうなそういう記録です」という新人離れしたメンタルの持ち主でもあった。チームの低迷期で勝ち星は伸びなかったが、6勝10敗2セーブ、防御率3.27をマークしている。

 近大から日本ハムへドラフト1位で入団したのが、172センチの左腕・酒井光次郎だ。「僕の持ち味はコンビネーション。相手打者の裏をかいていかに投げるかです」と語るように球速は130キロ台だが、巧みな投球術が光った。新人王にも意欲を燃やし、「イメージでは野茂らのほうが強烈でしょ。だから2、3勝は上回らないと」と話していた。8月には4勝0敗、防御率0.25で月間MVPにも輝いている。最終的にはリーグ最多の3完封で10勝10敗。潮崎とともにパの特別表彰を受けている。

近鉄・石井浩郎


 野手ではプリンスホテルからドラフト3位で近鉄に入団した石井浩郎がいる。肝炎、そのあと風疹にも苦しんで大きく出遅れたが、復帰後はホームランを連発。7月4日のダイエー戦(大阪)で本塁打のあと、5日の同戦での2本を加えた3打数連続本塁打もあった。7月は月間9本塁打。「なぜこんなに打てるか自分でも分からないんですよね」と首をかしげていた。ジュニアオールスターではMVPにも輝き、最終的には86試合の出場で打率3割、22本塁打。彼もまた、パの特別表彰を受けている。

 キャンプからユニークな発言とパンチパーマで人気となったのは、熊谷組からドラフト1位でオリックス入りした佐藤和弘。一軍では壁にぶつかったが、それでも42試合の出場ながら打率.331と、翌年につながる数字はしっかり残している。

写真=BBM
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