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長嶋茂雄超えた中村剛也 7年目に殻を破った指揮官からの「ホームランを打て」の言葉

 

カーブを巧みにとらえて


5月13日の楽天戦の6回に通算445号となる勝ち越しソロを放った中村


 見事な一発だった。5月13日の楽天戦(ベルーナ)、西武が2対2の同点に追いついた6回二死で打席に入った五番・中村剛也。カウント3−1から瀧中瞭太が投じた5球目、外角低め101キロのカーブを巧みにとらえると打球は左中間に飛び込む勝ち越しソロに。今季3号は長嶋茂雄氏(巨人)を抜いて歴代単独14位に躍り出る445号本塁打となった。

「すごくいいバッティングができました。素直にうれしく思いますし、これからも1本1本積み重ねていけたらなと思います」

 押しも押されもせぬ“レジェンドアーチスト”となった中村だが、順風満帆にプロ野球人生を歩んできたわけではない。高卒4年目の2005年に80試合で22本塁打をマーク。ここから一気に成長曲線を描くかと思われたが、06年は100試合で9本塁打、07年は98試合で7本塁打とホームラン数は伸びなかった。中村はつまずいた理由を2012年に発行された『スポーツアルバム 中村剛也』の中で次のように語っている。

「05年に22本打つことができて、次の年は(06年)はレギュラーを取ることを目標にやっていたんですが、今思えば05年の22本はまぐれだった気がします。むしろ06、07年の成績が当時の僕の実力だった。まだまだバッティング技術がなかったのに、22本打てたんだから次の年はレギュラーとして試合に出て40本くらい打てるだろう、なんて思っていた。本当に安易な気持ちだったんです。当時の僕はまだ何も分かっていなかった。今思えば、若かったな、何を考えていたんだろう、と思いますよ」

「どっちつかずはダメ」


 それが08年には143試合出場とレギュラーに定着し、46本塁打でタイトルを獲得。それまでとは何が変わったのだろうか。

「自分の中で、07年まではホームランを打ちたいけど打てなくて、長打もなかなか打てなくて、でもレギュラーを取りたい、そのためにはヒットを打たないと、といういろんな気持ちが混ざっていたんですね。自分はホームランを打ちたいのに、ヒットを積み重ねていかないと試合に出られない。中途半端で、どっちつかずな気持ちでやっていたように思います」

08年、初めて本塁打王に輝いたときの打撃


「で、どっちつかずにやっていると、結局は両方ともダメなんですよね。それが06、07年の2年間続いたんですが、08年に渡辺久信監督(現GM)が就任されて、『ホームランを打て』とはっきり言われた。打撃コーチからも『三振かホームランでいいから、たまにホームラン打てよ』と。08年、打率はめっちゃ低かったですけど(.244)、それでも使ってくれましたし、僕もその言葉に甘えてずっとホームランを狙っていくことができたんです。それで結果的にホームランがいっぱい打てたんですよ」

 目の前の霧が晴れた中村は翌年も48本塁打を放ってタイトル獲得。その後も、4度本塁打王に輝き、稀代のアーチストとして一発を描き続けた。しかし当然、まだゴールではない。最大の目標である500本塁打を目指してバットを振り続ける。

写真=榎本郁也
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