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プロ野球回顧録

「竜巻のように……」阪神・グリーンウェル“神のお告げ”騒動、その一部始終【週ベ・プロ野球回顧録】

 

球団社長と並んだ会見で衝撃の決断


阪神の“お騒がせ外国人”として記憶に残るグリーンウェル


 1997年シーズンが開幕してから2カ月もたっていない5月14日のことだった。阪神の大物助っ人マイク・グリーンウェル外野手が、本拠地・甲子園球場で緊急記者会見を開いた。前日13日に右足の骨折が判明し、治療と検査のため近日中に日本を離れることが発表されたばかり。患部をギプスで固定した痛々しい姿で三好一彦球団社長と並んだ会見で、衝撃の決断を明らかにした。

「背中の故障を治し、これからという矢先に足をケガした。もう野球は終わりという『神のお告げ』を聞いたのだと感じた。野球選手には必ず引退が訪れる。ワタシの野球人生は恵まれていた」

 ただの離脱、帰国ではなく、もう二度と野球のユニフォームは着ない。オカルトめいた「神のお告げ」を理由に、あっさりすぎるほどの口調で、野球界からの引退を表明した。低迷していた人気球団の再興を託され、3度目の就任となった吉田義男監督もこうもらすしかない突然の幕引きだった。

「まるで竜巻のように去っていきましたな……」

ミスター・レッドソックスにチーム再建を託した阪神


 期待がふくらんでいたからこそ、喪失感もまた大きかった。吉田監督の就任とともに、チーム再建の切り札として日本の人気球団、阪神タイガースに見込まれた。96年オフ、年俸200万ドルの3年契約を結ぶ。米大リーグの名門ボストン・レッドソックスで12年も主軸を張った左打ちの外野手。メジャー通算130本塁打で、オールスターには2度出場、88年にはメジャー記録の23勝利打点を挙げてシルバースラッガー賞を受賞した。「ミスター・レッドソックス」の称号でファンから愛されていた大物野手が「お金のために野球をやるのではない」と、レ軍との370万ドルの高額契約を蹴って、日本からのオファーを受けたのだった。

 米フロリダ州アルバの広大な自宅で、その「おとこ気」契約に調印した。そのまま、日本からの報道陣を含む70人の関係者を招いた盛大なホームパーティーを開き、タテジマのユニフォーム姿をお披露目した。

 メジャー・リーガーのプライドを振りかざすでもなく、日本では紳士に振る舞った。高知・安芸でのキャンプには2月1日、キャンプイン初日から参加し、日本人選手とともにフルメニューを消化した。フリー打撃でシャープに左右に打ち分け、外野部分をダッシュしながら捕球する、日本独自の練習「アメリカンノック」にも一心不乱に取り組む。ひたむきな姿を、首脳陣やチームメート、マスコミ、ファンは好感を持ってながめていた。

キャンプ途中離脱、すったもんだの再来日


キャンプ初日には、その後の嵐の予兆など微塵に感じさせなかった


 ただし、そんなまじめなキャンプ生活は2月10日まで。サイドビジネス(遊園地、農場の経営)の処理などがあり、11日から22日までは一時離脱して米国に戻ることが事前の契約で決まっていた。日本を離れる際も「向こうでもしっかりトレーニングをして打撃マシンも打ち込むよ」とPRするのを忘れなかった。その十数日後、日米をまたにかけた大騒動が巻き起こるとは、このとき、誰も予想できなかった。

 再来日を2日後に控えた2月20日の夜。代理人(ジョー・スロバ氏)を通じて、日本には行けないことを球団に伝えた。

「日本での練習中に背中を痛めた。主治医から、3月5日まで旅行を控えるよう診断された」

 阪神球団は渉外担当者が緊急渡米して対応に追われた。指定医師による再検査を施すと、軽症の診断を得た。だがグリーンウェル側はあくまで主治医(J.ケーガン医師)から完治のお墨付きをもらうまでは日本に戻れない、と再三にわたり休暇延長を主張する。それでいてMRIなど精密検査の結果は開示しないなど、臆測を呼ぶ言動に終始した。

 早く日本に帰ってこい、いやまだ行けない。押し問答の間、ヒートアップした阪神マスコミが例の広大な自宅を直撃するなど取材攻勢をかけると「訴える」と猛反論にも出た。一方でメジャーのキャンプ地で打撃練習を行うなど不可解な動きが目立った。

 それが突然の軟化で、騒動は一気に収拾する。「開幕は無理だが、4月の下旬には戻りたい。そしてすぐにプレーしたい」。唐突に渉外担当者にそう告げたとおり、グリーンウェルは4月30日、まさに「何食わぬ顔」をして再び日本に降り立った。さっそく翌日から練習を再開してみせた。そこにはトラブルメーカーの面影はなく、吉田監督は「はっきり言いますわ。五番・レフトです」と遅れてきた大物助っ人にチームの浮上を託すと即決した。

バースの再来、どんでん返し


 これまでのマイナスイメージをまとめて覆すほど、グリーンウェルの実戦デビューは鮮烈だった。ゴールデンウイークで満員の甲子園、5月3日の広島戦。1回一死満塁と絶好の先制機に二ゴロ併殺打でどよめかせると、今度は3回二死一、二塁で中前にクリーンヒット。先制タイムリーで、初回の凡退をすぐさま挽回した。

 まだまだ続く、グリーンウェル劇場。3、4打席目は凡退しながら迎えた8回無死三塁で、弾丸ライナーが右中間を切り裂く。ドスドスと音が聞こえてきそうな大きなストライドで三塁に滑り込んだ。ダメ押しの適時三塁打ですっくと立ち上がり、ガッツポーズを決めた。代走を告げにベンチを出た吉田監督がそのまま三塁ベースに近づきヒーローをハイタッチで迎えた。

「甲子園はグレートだ。とても興奮したし、楽しくプレーできたね」

 バースの再来、救世主、低迷脱出の使者。最高のデビューを飾った助っ人にファンのボルテージもうなぎ上り。翌4日の第2戦も決勝の2点打を含む3打数2安打2打点。第3戦こそチームは敗れたが、ここでも適時二塁打を放った。3連戦で12打数5安打5打点。「ホンマモンの助っ人や」とファンのハートをわしづかみにした甲子園の歓喜から、まさかの急転が待っていようとは……。日本野球の聖地でここまでスポットライトを浴びたのは、これが最初で最後だった。

 ナゴヤドームでの中日2連戦(5月7、8日)は7打数無安打。それでもグリーンウェルは敵地・東京ドームでの巨人戦に向け「レッドソックスでもヤンキース戦だけは特別、盛り上がったものさ」。気持ちを新たに、日本の“伝統の一戦”を迎えた。初戦は4打数無安打、最悪の2併殺打……。実はその4打席目(遊ゴロ併殺打)の間、右足甲に自打球を当てていた。

 痛みを押し隠し、巨人2戦目も強行出場。3打席目に17打席ぶりの安打となる内野安打を放った。だが右足の痛みは治まるどころか増すばかり。東京から岡山に向かう新幹線にはだしで乗り、右足を氷で冷やしながらの移動。到着後に駆け込んだ岡山市内の病院で、これまで不透明だった患部(第2中足骨)の骨折が判明した。

87年5月14日に行われた退団会見


 数日前、ファンの喝采に包まれた甲子園に、グリーンウェルは松葉づえで帰ってきた。自打球を受け、痛みに悶々としていた10日深夜には都内の宿舎から米国の自宅に国際電話をかけ、トレーシー夫人に「もし折れていたら、引退する」と予告とも予言とも受け取れる連絡をしていた。1度は発見されなかった骨折がはっきりと映るエックス線写真は、グリーンウェルにとって、まさにユニフォームを脱げという「神のお告げ」そのものだった。

 日本ではわずか7試合の出場。三好球団社長に年俸の4割(約9600万円)返金とともに引退を申し入れ、了承された。即日の緊急会見であっさり退団。本人は筋を通したつもりだろうが、救世主と期待した球団関係者やファンには、自然災害に見舞われたようなやるせなさだけが残った。吉田監督が言った「竜巻のような」去り方に、理解しがたい「神のお告げ」という言い分が拍車をかけた。

写真=BBM
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