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プロ野球回顧録

羽生田忠克、英智、南竜介…「強肩が衝撃的だった」伝説の外野手たち

 

 外野からの送球で走者の進塁を阻止するのは野球の醍醐味の1つだ。イチロー(現マリナーズ会長付特別補佐兼インストラクター)、BIGBOSSこと新庄剛志(現日本ハム監督)、秋山幸二など強肩が魅力的だった名外野手たちが印象深い。一方で、一軍の常時スタメンで出場していたわけではないが、強肩で衝撃を与えた選手たちがいる。羽生田忠克英智南竜介……彼らの強肩は現役引退後も「伝説」として野球ファンの間で語り継がれている。

球界屈指の鉄砲肩


黄金時代の西武でバイプレーヤーとしてチームを支えた羽生田


・羽生田忠克(西武)
通算成績 341試合出場、打率.258、1本塁打、31打点、25盗塁

 実働8年間で代走や守備固めでの出場が多かったが、西武の黄金時代の貴重なバイプレーヤーとして活躍した。当時の西武は秋山、平野謙ら強肩の外野手が多かったが、羽生田は球界屈指の鉄砲肩として知られた。地をはうような低い弾道の送球が三塁や本塁に伸びていく。まさに「レーザービーム」だった。

 強肩で幾度もチームのピンチを救ってきたが、中でも印象深いのが1987年5月6日の日本ハム戦で見せたプレーだ。3対2と1点リードの9回二死一塁。田村藤夫の打球をこの回から右翼の守備固めに入っていた羽生田が捕球したかに見えたが、グラブの土手に当たり落球。この間に一塁走者・及川美喜男が本塁に突入する。ボールを拾い上げた羽生田は必死の形相でバックホームすると、光のような速さのストライク送球が本塁に返ってきた。タイミングはアウトだったが、捕手の伊東勤がタッチプレーで球をこぼして同点の本塁生還を許した。手痛いミスに羽生田はその場でうなだれたが、衝撃の送球に球場がどよめいた。

落合中日の必要不可欠なピース


落合監督率いる中日で堅守、強肩を見せた英智


・英智(中日)
通算成績 884試合出場、打率.236、11本塁打、115打点、50盗塁

 中日の落合博満政権で俊足、強肩を武器に活躍した。守り勝つ野球を標榜する中日で、英智は必要不可欠なピースだった。落合監督就任1年目の2004年。6月27日の阪神戦で葛城育郎の放った右飛で、三塁走者の桧山進次郎を矢のような送球で本塁憤死させたことで評価を高める。同年は外野の一角でレギュラーに定着し、自身初のゴールデン・グラブ賞を獲得。左翼の英智、中堅のアレックス・オチョア、右翼の福留孝介は鉄壁の布陣だった。

 圧倒的な強肩は相手球団の脅威だった。英智は強肩だけでなく、コントロールも良かった。県岐阜商高、名城大で投手も務めていたが、外野でも美しいフォームで失速しない軌道の送球を投げる。相手球団の三塁コーチャーも、英智の前に打球が飛ぶと走者を自重させる。未然に失点を防いだケースは多く、その貢献度は計り知れない。

 12年10月5日にナゴヤドームで行われた引退セレモニーでは、「テレビで見ているお母さんのために全力で遠投を一投捧げて終わりたいと思います。お母さんに捧げます」とホームベースから遠投を披露。送球はライトポールを直撃して大きな拍手が送られた。

バズーカ砲を連想させる送球


横浜、ロッテに在籍して強肩で鳴らした南


・南竜介(横浜、ロッテ)
通算成績 181試合出場、打率.207、6本塁打、20打点、6盗塁

 一軍で目立った実績を残していないが、その強肩は他球団の選手たちも驚くほどだった。報徳学園高から横浜(現DeNA)に投手として入団したが制球難を解消できず、翌2001年に外野手に転向。横浜は06年途中までの在籍で28試合出場にとどまりファーム暮らしが長かったが、湘南シーレックスで見せる強肩はファンたちの間で名物になった。うなりを上げるような弾道の送球はバズーカ砲を連想させ、捕球する選手が恐怖感を覚えるほどだった。「シートノックで南の肩は一見の価値がある」と話題になった。

 06年途中にロッテに移籍後は守備固めで一軍での出場機会を増やし、08年のオープン戦では中堅の定位置の犠飛で捕手が捕れない強烈な送球を披露したことも。12年限りでチームの構想から外れて退団した。実働9年間で10年の57試合出場がシーズン最多だが、その強肩に「球界No.1」と評する声が少なくない。

写真=BBM
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