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プロ野球はみだし録

交流戦もない時代のパ・リーグで打席に入った“助っ投”。数字は打率10割、長打率40割!【プロ野球はみだし録】

 

指名打者が途中から守備に就いたことで


90年から92年までオリックスに在籍したシュルジー


 いよいよ交流戦も大詰め。ふだんは代打がメーンとなるセ・リーグの打者が指名打者としてレギュラーを張る一方、打席に立つことがないパ・リーグの投手が隠された打棒を発揮する。そんな場面も交流戦の見どころだが、指名打者制が導入され、交流戦が始まるまでのパ・リーグで、投手が打席に入ったことは希少ではあるが、皆無ではない。これが、そもそも絶対数の少ない助っ人の投手となると、打席に立つだけで貴重であり、これだけで珍記録といえるかもしれない。

 これに輪をかけて、珍しい数字を残した“助っ投”がいた。ブレーブスからブルーウェーブにニックネームが変わり、過渡期ともいえたオリックスで3年間プレーしたドン・シュルジーだ。シュルジーは阪急がオリックスとなって2年目となる1990年に来日。これがブレーブスとしてはラストイヤーとなる。このときのオリックスには84年に三冠王となり、阪急としては最後となるリーグ優勝の象徴でもあるブーマー、チームがオリックスとなった89年に入団して9勝を挙げた左腕のガイ・ホフマンもいたが、シュルジーは来日1年目から先発、救援で20試合に登板して6勝3セーブ。まだ外国人枠は2人で、先発がメーンの左腕のホフマンに対し、右腕のシュルジーは役割を問わずチームを支えていた印象がある。

91年5月29日の近鉄戦で本塁打を放ったシュルジー


 そんな“助っ投”が打席に入ったのが翌91年5月29日の近鉄戦(日生)だ。指名打者が途中から守備に就いたことで打席に立つことを余儀なくされた(?)シュルジー。これが来日して初めての打席だったが、その初打席から本塁打を放つ。初打席本塁打は快挙でこそあれ、それほど珍しいことではないが、このときのシュルジーは指名打者制で初めてとなる投手の本塁打でもあって、珍しさは倍増。さらに、これがシュルジーにとっては最後の打席となったことで、その打撃成績は球史に燦然と輝く(?)ものとなった。

 通算1打数1安打1本塁打、打率1.000、長打率4.000。この数字でキャリアを終えるのは、そう簡単なことではない。ちなみにシュルジーの投手成績は通算57試合登板、12勝11敗10セーブ、防御率3.39だった。

文=犬企画マンホール 写真=BBM
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