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日本人メジャーの軌跡

特別措置での限定マウンドへ。先発するもほろ苦い思い出となった村田透/日本人メジャーの軌跡

 

1995年に野茂英雄投手がドジャースに入団して以来、日本人選手が20年連続でメジャー・デビューしていた。2015年はこのバトンが途絶えるのではないかと懸念された。海外FA権を所得した鳥谷敬内野手が結局阪神に残留。オリックス金子千尋投手が右ヒジ骨棘の手術で移籍を断念。メジャー移籍を希望していた広島前田健太投手も見合わせた。そんな中、21年連続に伸ばしたのがアメリカで5年目を迎えたインディアンスの村田透投手だった。

こつこつと努力を続けた男


インディアンス時代の村田


 大阪体育大から2007年のドラフト1位指名で巨人入り。だが3年間一軍登板がないまま戦力外通告を受けた。2010年12月にインディアンス(現ガーディアンズ)とマイナー契約。1Aからスタートして投げ続けてきた。

 こつこつと努力を続けた男に幸運が訪れるのは15年6月28日だった。敵地でのオリオールズとのダブルヘッダーの第2試合。先発投手不足のため声がかかり、急きょ昇格したのだ。

 マウンドに登った村田は1回を三者凡退でスタートした。だが2回には二死から二塁手の失策をきっかけに2失点。4回には四番のクリス・デービスと六番のトラビス・スナイダーにソロ本塁打を許し、J.J.ハーディーに四球を与えたところで降板。3回1/3を4安打5失点3自責点で敗戦投手になった。「待ちに待ったチャンス。これで投げられたと言っていいのか分からないけれど、思った以上に投げられた」と、うれしそうに話していた。

 直後にすぐ3Aコロンバスに戻った。この年はコロンバスで27試合に登板して15勝4敗、防御率2.90の好成績を収めた。翌年に希望を抱かせたのだが、日本から来た30歳の投手は便利使いされることになる。若い投手たちに先発の機会を譲り、コロンバスで9勝4敗、防御率4.13。メジャーには一度も昇格できなかった。

 シーズン終了後に自由契約になり、日本ハムと契約。日本に戻ることになった。メジャーでの登板は1試合だけだった。さて日本人選手のデビューは15年の村田のあと、16年には前田健太がドジャースで投げ、22年連続となった。しかし17年は新たな日本人選手は出ず。ついにストップした。

 しかし18年には日本ハムの大谷翔平がエンゼルスに入団するなど、再びスタート。今季の鈴木誠也まで5年続けて日本人選手がメジャー・デビューしている。

『週刊ベースボール』2022年5月30日号(5月18日発売)より

文=樋口浩一 写真=Getty Images
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