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プロ野球回顧録

原辰徳、高津臣吾、立浪和義…各球団の監督の現役時代はすごかった!【セ・リーグ編】

 

 交流戦でセ・リーグの各球団が熾烈な戦いを繰り広げている。普段は対戦しないパ・リーグの球団との戦いだけに、監督の戦略、戦術眼も問われる。采配を振るう指揮官たちだが、現役時代は球界を代表する選手として輝いた時期があった。全盛期を知っている野球ファンも少なくないだろう。その偉業をあらためて振り返ってみる。

子どもたちがあこがれた「巨人の四番」


83年に打点王に輝くなど四番として輝きを見せた


原辰徳(巨人監督)
※NPB通算 1697試合出場、打率.279、382本塁打、1093打点、82盗塁

「巨人の四番」として、子どもたちがあこがれたスーパースターだった。プロ2年目の1982年に全130試合出場で33本塁打を放つと、翌83年も2年連続全試合出場で打率.302、32本塁打、103打点で打点王を獲得する。その後も86年に自己最多の36本塁打を放つなど、シーズン30本塁打を6度、入団以来12年連続20本塁打の日本記録を更新した。当時は巨人戦が地上波でテレビ中継され、他球団に比べて注目度が高く、「巨人の四番」の重圧は計り知れなかった。その中で四番打者として見せた生き様は高く評価されている。

抑えが似合うサイド右腕


野村監督に見出され守護神としてセーブを重ねた


高津臣吾(ヤクルト監督)
※NPB通算 598試合登板、36勝46敗286S8H、防御率3.20
※MLB通算 99試合登板、8勝6敗27S8H、防御率3.38

 ヤクルトが黄金時代を築いた1990年代に守護神として活躍した。野村克也監督の助言で習得したシンカーを武器に最優秀救援を4度獲得。日本シリーズで挙げた通算8セーブは史上最多記録だ。メジャーでもホワイトソックスで2004年に19セーブをマークするなど抑えが似合うサイド右腕だった。NPB歴代2位の通算286セーブと輝かしい実績を持つが、さまざまな環境でプレーしたことが指導者人生に大きく生きている。米国、韓国、台湾と4カ国のプロ野球でプレーした初の日本人選手で、独立リーグ・新潟でも守護神を務めた。

30代で大輪の花を咲かせた捕手


03、05年の阪神の優勝に好守で大きく貢献した


矢野燿大(阪神監督)
※NPB通算 1669試合出場、打率.274、112本塁打、570打点、16盗塁

 中日時代は正捕手の座をつかめなかったが、1997年オフに阪神にトレードされて司令塔として輝いた。移籍初年度の98年に自己最多の110試合に出場。99年から就任した野村克也監督に捕手のイロハを叩きこまれ、同年にプロ9年目で初の規定打席に到達して打率.301をマーク。星野仙一監督就任2年目の2003年に打率.328、14本塁打、79打点と攻守の中心選手としてリーグ優勝に貢献。岡田彰布監督が指揮を振るった05年のリーグ優勝も正捕手として支えた。30代で大輪の花を咲かせた「遅咲きの星」だった。

先発、抑えとフル回転した右腕


プロ2年目には優勝に貢献して沢村賞、MVPに輝いた


佐々岡真司(広島監督)
※NPB通算 570試合登板、138勝153敗106S、防御率3.58

 プロ1年目の1990年に先発、抑えとフル回転で13勝17セーブ。翌91年は17勝9敗、防御率2.44で最多勝、最優秀防御率の2冠でリーグ優勝に貢献し、沢村賞、MVPに輝いた。その後もチーム事情に合わせて先発、救援で投げ続け、99年5月8日の中日戦(広島市民)でノーヒットノーランを達成。2006年に江夏豊以来史上球団3人目の通算100勝100セーブに到達した。最速152キロの直球と縦に大きく割れるカーブが武器で、30代以降はシュート、スライダーを織り交ぜて技巧派に。体も強いタフネス右腕は頼もしかった。

竜を支えた攻守の中心選手


高卒1年目からショートとして一軍出場を果たした


立浪和義(中日監督)
※NPB通算 2586試合出場、打率.285、171本塁打、1037打点、135盗塁

「野球センスの塊」でナインにも一目置かれていた。星野仙一監督の下、高卒新人1年目の88年開幕戦で「二番・遊撃」のスタメンに抜擢され、110試合出場で22盗塁、21犠打とリーグ優勝に貢献。その後も攻守の中心選手として活躍し、チームの精神的支柱だった。広角に打ち分ける打撃技術で通算2480安打、NPB記録の通算487二塁打を樹立。守備でも二塁、遊撃、三塁で計5度のゴールデン・グラブ賞を受賞。3つのポジションでの受賞はプロ野球史上初の快挙だった。

ファンに愛された「ハマの番長」


先発として活躍した三浦。代名詞はリーゼントヘアーだった


三浦大輔(DeNA監督)
※NPB通算 535試合登板、172勝184敗、防御率3.60

 横浜一筋25年間の野球人生で通算172勝をマーク。球団名が大洋、横浜、DeNAと変わった中、3球団すべてに在籍したことがある唯一の選手で、代名詞のリーゼントヘアーから「ハマの番長」の愛称で親しまれた。多彩な変化球と抜群の制球力で、1997年に10勝3敗で最高勝率(.769)をマーク。98年は自己最多の12勝を挙げ、38年ぶりのリーグ優勝、日本一に大きく貢献した。2005年は12勝9敗、防御率2.52で最優秀防御率と共に最多奪三振(177)のタイトルを獲得。無尽蔵のスタミナで完投能力も高かった。

写真=BBM
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