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プロ野球はみだし録

2代目“代打の神様”桧山進次郎は断言。代打にリズムは「ない」【プロ野球はみだし録】

 

“代打の神様”と”野球の神様”


八木のあとに“代打の神様”となった桧山


 1990年代の後半から2000年代の前半にかけて、阪神で代打の切り札として活躍した八木裕。“代打の神様”の称号は八木に始まったものだ。その八木が04年いっぱいで現役を引退すると、“代打の神様”の後継者となったのは桧山進次郎だった。

 八木と桧山のキャリアは縁を感じるものだ。八木は1992年、リーグ優勝を争っていた阪神で、天王山のヤクルト戦でサヨナラ本塁打がエンタイトル二塁打に判定が覆った“幻の本塁打”でも球史に名を残すが、その92年に入団したのが桧山。八木が故障もあって代打に回り、「本当のプロフェッショナルになった」と振り返る97年に四番打者として自己最多の23本塁打を放ったのも桧山だった。そして、八木が去って“代打の神様”となった桧山。実際、「(代打として)参考になったのは八木さん。自分がレギュラーだったときに、八木さんは代打でガンガン打ってた。出るたびに打ってたイメージしかないんです」と振り返っている。

 一方で、「代打が性格的に合ってた、と八木さんは言うんです。でも僕は、野球は打って守って走って、という考えを拭い去れなかった。性格的に代打タイプじゃない」とも。南海(現在のソフトバンク)などで通算567本塁打を残した門田博光は、アキレス腱の断裂で指名打者に回ってからは、打撃のリズムを崩さないために守備中も立ち続けて試合を見ていたというが、桧山は代打のリズムについて「極端にいうと、ない」と断言する。「変わらんと打てんぞ、と(代打の)大先輩である川藤(川藤幸三)さんからも言われました」と言い、代打という役割に回るにあたって苦しんだことが伝わってくる。それでも、桧山が代打で登場すると甲子園は沸き、それに桧山も応えた。

 そして現役ラストイヤーとなった13年には、クライマックスシリーズのファーストステージ第2戦(甲子園)で9回裏二死から「野球人生で一番いい打ち方をした」(桧山)代打2ラン本塁打。これがキャリア最後の打席となったが、“代打の神様”とファンから称えられた桧山は、この打席で「確信しました。“野球の神様”はいるな、って」と言う。

文=犬企画マンホール 写真=BBM
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