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プロ野球回顧録

清水隆行、前田智徳、鈴木尚典…最も印象深い90年代の「安打製造機」は?

 

 1990年代のプロ野球は右投げ左打ちの巧打者が目立った。パ・リーグはオリックスイチローが1994〜2000年まで7年連続首位打者を獲得。セ・リーグも職人肌のヒットメーカーが各球団にいた。巨人清水隆行広島前田智徳、横浜・鈴木尚典。3選手は類稀な打撃センスで安打を量産していた。あなたが最も印象深い「安打製造機」はどの選手だっただろうか。

卓越したミート能力


鋭いスイングから弾丸ライナーのヒットを重ねた清水


・清水隆行(巨人、西武)
通算成績 1485試合出場、打率.289、131本塁打、488打点、90盗塁

 同じ時代に巨人で外野を守った松井秀喜高橋由伸と比べて「縁の下の力持ち」のイメージが強いが、清水も間違いなく天才打者だった。スイングスピードの速さに定評があり、ダウンスイングから放たれる弾丸ライナーで安打を量産した。清水のスイングは独特だった。ボールと衝突する打ち方は確実性が低いように見えるが、きっちり自分の間合いに呼び込んで緩急にも崩されず体をコマのように回転して振り抜く。卓越したミート能力でマネできない打ち方だった。

 1年目の1996年に同期入団の仁志敏久と共にレギュラーをつかみ、11.5ゲーム差をひっくり返す「メークドラマ」でのリーグ優勝に大きく貢献。2002年は原辰徳監督第1次政権で一番を任され、打率.314、14本塁打でリーグトップの191安打をマークして日本一に輝く。レギュラーを保証されていない中で、毎年コンスタントに活躍し続けたことも大きな価値がある。04年は打率.308、16本塁打、リーグトップの39二塁打をマークしたにもかかわらず、翌05年は新外国人のゲーブ・キャプラーが入団したため、控えに追いやられて4月下旬まで代打要員だった。だが、キャプラーの打撃不振もあり、5月に左翼のレギュラーを奪い返すと、規定打席に到達して打率.300、15本塁打の好成績を残した。

 シーズン打率3割を6度マークし、現役14年間で通算1428安打。「スター軍団」の中で異彩を放った清水はチャンスメーク役として不可欠な存在だった。

無骨なオーラをまとった天才打者


打撃と真剣に向き合う求道者のイメージもあった前田


・前田智徳(広島)
通算成績 2188試合出場、打率.302、295本塁打、1112打点、68盗塁

 野球評論家として饒舌なキャラクターでメディアに露出しているが、現役時代を知る野球ファンは信じられないだろう。前田は寡黙なイメージがあったからだ。理想の打撃を追い求め、安打を打ってもニコリともしない。本塁打を打って首をかしげながらダイヤモンドを一周したときも。ヒーローインタビューに登場する機会は少なく、近寄りがたい無骨なオーラを身にまとっていた。

 前田に悲壮感が漂っているように見えたのは、野球人生の歩みも大きく影響しているだろう。攻守走3拍子そろったプレースタイルでトリプルスリーに最も近い男と目されていたが、1995年5月23日のヤクルト戦(神宮)で二ゴロを打った際、一塁への走塁時に右アキレス腱を断裂。その後は足に不安を抱えて万全の状態でプレーできなくなった。

 普通の選手ならここから成績を落とすが、前田は違った。98年に自己最高の打率.335をマーク。2000年に左アキレス腱の状態が悪化し、7月に腱鞘滑膜切除手術を受けたが、02年に打率.308、20本塁打でカムバック賞を受賞する。05年は12年ぶりに全146試合先発出場して打率.319、32本塁打、87打点で自己最多の172安打。24年間のプロ野球人生で通算2119安打を積み上げた。チャンスの場面で打席に入ると目の色が変わり、スキのない打者になる。打撃タイトルに縁はなかったが、誰もが認める「天才打者」だった。

芸術的な広角に打ち返す打撃


97、98年には2年連続で首位打者に輝いた鈴木


・鈴木尚典(横浜)
通算 1517試合出場、打率.303、146本塁打、700打点、62盗塁

 内角をさばく技術で右に出る者はいないだろう。体に当たりそうな内角の厳しい球に右ヒジをたたみ、バットを内から出してヒットゾーンに引っ張る。懐の深い構えから内外角、高低すべてのコースに反応して広角に打ち返す打撃は芸術だった。

 もともとはスラッガーとして期待された。横浜高では入学直後から四番を打ち、通算39本塁打をマーク。1991年、大洋(現DeNA)に入団すると、96年に初めて規定打席に到達し、打率.299、13本塁打、62打点をマーク。最終戦で無安打に終わり、打率3割を切った悔しさが大きな飛躍につながる。「マシンガン打線」の三番を担い、97年に打率.335、21本塁打、83打点で首位打者を獲得。98年も打率.337、16本塁打、87打点で2年連続首位打者に輝き、38年ぶりのリーグ優勝に貢献。西武との日本シリーズでも25打数12安打、打率.480と爆発して日本一とシリーズMVPを獲得した。

 イチローと同様にセ・リーグで首位打者を獲り続けると思われたが、99年は打率.328でリーグ3位に。立派な数字だが、その後は本塁打を量産する打撃スタイルへのモデルチェンジを試みて持ち味だった打撃の柔軟性が失われてしまう。外野の守備に難があったことから、2004年以降は代打要員に。プロ18年間で1456安打と名球会入りはならなかったが、通算打率.303は前田を上回る。派手さはなかったが、横浜ファンから絶大な人気を誇った好打者だった。

写真=BBM
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