甲子園のエース≒プロの県勢エース
高知商高時代の藤川
打高投低の印象があった九州とは対照的に、投手力が光る四国。なぜか投手では好リリーバーが多いのが高知県だ。
高知商高からは、1980年にセンバツ初優勝に導いた
中西清起が
阪神で85年に日本一イヤーの胴上げ投手に。その後輩で99年に同じく阪神へ入団、メジャーのユニフォームも着たリリーバーが
藤川球児だ。阪神のライバル
巨人で中西や藤川よりも前にリリーフとしてフル回転したのが
鹿取義隆で、90年代には
西武へ移籍。優勝、日本一の経験でも後輩2人を圧倒する。77年センバツで部員12人での出場で“二十四の瞳”と話題を集めた中村高の
山沖之彦は阪急(現在の
オリックス)最後のVイヤーとなった84年の最優秀救援投手だ。
日本ハムや鹿取もいた巨人でもセットアッパーとして活躍したのが明徳義塾高の
河野博文。スターターでは高知商高の
江本孟紀が南海(現在の
ソフトバンク)や阪神でエース格に。伊野商高で85年にセンバツ優勝を果たした
渡辺智男は西武で鹿取のチームメートとなって最優秀防御率に輝いている。高知商高には日本ハムなど4チームでプレーした
津野浩もいるが、
ヤクルトで90年代の黄金期にプレーした
岡林洋一は14歳までパラグアイで育ち、出身地としてはパラグアイとなる。
徳島商高時代の川上
続いて徳島県。海南高(現海部高)の
尾崎正司(西鉄。現在の西武)や徳島商高の
板東英二(
中日)はセカンドキャリアのほうが有名だが、ともに甲子園を沸かせたエースで、早々にプロゴルファーとなった“ジャンボ尾崎”の一方で、板東はプロ野球でもリリーフ専門のパイオニアとして鳴らした。82年の夏を制した池田高の
畠山準はプロで野手に転じたが、翌83年センバツの
水野雄仁は巨人でリリーバーとして活躍。鳴門高の
潮崎哲也も西武で、生光学園高の
武田久も日本ハムでリリーフとして一時代を築いたが、ソフトバンク現役の
森唯斗は尾崎のいた海南高(海部高)の出身だ。
スターターでは52年にノーヒットノーランを達成した徳島商高の
林義一(大映)が古参。後輩の
蔦文也(東急。現在の日本ハム)は池田高の監督としても名を残す。彼らの遠い後輩で、中日だけでなくメジャーでも活躍したのが
川上憲伸だ。
文=犬企画マンホール 写真=BBM