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棺の中でもユニフォームを着用。「生涯青春」を貫いた東洋大・高橋昭雄前監督

 

「最大の師であり、オヤジであり、ずっと監督です」


東洋大前監督・高橋昭雄氏の祭壇にはユニフォーム姿の遺影、その横には胴上げ写真。教え子ら約1000人が参列して、手を合わせた


 東洋大で東都大学リーグ最多542勝を挙げた高橋昭雄前監督(享年74)の通夜が9月11日、群馬県前橋市内の斎場でしめやかに営まれた。7日に逝去。プロ・アマの球界関係者、教え子など、約1000人が参列した。

 高橋氏は23歳だった1972年から母校・東洋大を率い、戦後初の5連覇へ導くなど、リーグ優勝18度を遂げた。斎場内には母校の指揮を執った当時の写真、ユニフォームなどが飾られ、チームを46年率いた名将をしのんだ。

 初江夫人の願いで、高橋氏は棺の中でユニフォームを着用。今すぐにでも神宮でさい配しそうな勢いにも見えたが、安らかな表情。座右の銘である「生涯青春」を貫いたのだった。

 主な参列者のコメントである。

「昨夏、(母校のコーチとして携わる)桐生高校で指導をしていただいたんです。あまり体を動かせないご体調でしたが、投手指導の際には、いきなり立ち上がったんですよ。野球が持つ力のすごさを、見せつけられました。ゆっくり休んでいただきたいと思います」(青学大前監督・河原井正雄氏)

「監督在任時にいただいた『東都の次の世代を担う人間だ』というありがたいお言葉は、今でもエネルギーになっています。高橋さんの魂を継いでいかないといけない緊張感があります」(国学院大・鳥山泰孝監督)

「監督就任前の今年6月、高橋監督のご自宅でご挨拶をさせていただいた際には『頑張れ』とお言葉をいただきました。高橋さんの豪快な野球をいつかしたいと思っていた。付属校が頑張り、良い報告ができるようにしていきたいです」(東洋大姫路高・岡田龍生監督)

「学生を怒るのは、体力が必要であり、大変なことなんです。それを40年以上、続けてきたんですから、偉大としか言いようがありません」(元西武松沼雅之氏)

「2018年春、高橋監督のあとを継いでいますが現在、二部にいる。申し訳ない気持ちです。今春、一部に上がっておきたかった……(中大との入れ替え戦で敗退)。この秋は、墓前にはなってしまいますが必ず、良い報告をしたいと思います」(東洋大・杉本泰彦監督)

「(2013年に)センバツで優勝した際には、自分のことのように喜んでくれた。生きた見本で、(21年夏に退任するまで)30年見守っていただけたことは、感謝しかありません。東洋大監督の退任後はウチのグラウンドにも指導に来ていただきました。こちらがお礼をする立場にもかかわらず、奥様からは『グラウンドに立つことが生きる力になる。ありがとうございます』と。最近はご体調が優れないとは聞いていましたが、私の恩師は、いつまでも不死身なんだと思い込んでいましたので……。まだ、この現実を受け止められません」(浦和学院高・森士前監督)

「野球を教わった思い出は、あまりないんです。男としての生き方、人との付き合い方を学ばせていただきました。感謝の思いしかありません」(日本製鉄鹿島・中島彰一監督)

野本喜一郎監督(上尾高、東洋大元監督)と高橋監督の教育が、私自身の指導者としての原点です。まずは、人としての底力を上げることを大切にしないといけない。何に対しても、熱い思いで取り組むことの尊さ。私は東洋大時代、エリートではありませんでした。ところが、高橋監督はメンバー、メンバー外に関係なく、学生一人ひとりと真剣に向き合ってくれた。野球の醍醐味、楽しさ、奥深さを学びました。面と向かって、褒められた記憶はあまりありません。母校の上尾高校を率いて以降、人を通して『高野は頑張っているな』という高橋監督からの激励ほど、うれしいものはありませんでした。高橋監督のマネはできませんが、日々、私のできる最大限の情熱で生徒と接していきたい。いつまでも、心の中に生き続けています。本当にありがとうございました」(上尾高・高野和樹監督)

「『生涯青春』の人生を送れたのではないかと思います。学生時代は何度も意見がぶつかり、迷惑をかけましたが、最後までついていきたいという、心の温かさ、懐の深さがありました。私にとって最大の師であり、オヤジであり、ずっと監督です」(上武大・谷口英規監督)

文=岡本朋祐 写真=BBM
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