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ライオンズ「チームスタッフ物語」2022

「一軍選手の気迫はすごい」選手目線で仕事をすることを誓う柳澤玄成トレーナー/ライオンズ「チームスタッフ物語」2022【Vol.06】

 

グラウンドで躍動する選手たちだけではなく、陰で働く存在の力がなければペナントを勝ち抜くことはできない。プライドを持って職務を全うするチームスタッフ。ライオンズを支える各部門のプロフェッショナルを順次、紹介していく連載、今回はファームでトレーナーを務める柳澤玄成氏を紹介しよう。

大学、専門学校で勉強を重ねて


西武のファームでトレーナーを務める柳澤玄成氏[写真=球団提供]


 柳澤玄成氏が小学3年時に横浜高・松坂大輔が甲子園春夏連覇を果たした。“平成の怪物”と称された剛腕。そのピッチングに心を動かされた柳澤少年は野球を始めた。ポジションは投手。しかし、中学時には左の股関節を痛めて手術を行う。そのときに医療の道を志す気持ちが少し芽生えたという。

「その後、高校では肩を痛めてしまったんです。時間を見つけて接骨院や整体に通いましたが、劇的には良くならなかったですね。同じような痛みが何回もあったので、だいぶストレスはありました。そういったケガの経験があったので、進路を考える時期になって、『トレーナーになりたい』と本格的に思うようになったんです。

 卒業後は明治医療大へ進学しました。大学では基礎的な医療を学び、国家資格の柔道整復師の取得を目指しましたね。仲間と一緒にコツコツと勉強を重ねて、その資格は卒業前の3月に取りました。その後は大学付属の鍼灸を学べる学校に進もうと考えていたのですが、トレーナーをやるにあたって、あん摩マッサージの資格があったほうがいいのではないかと思い、専門学校に進みましたね。

 就職時には大学時代のゼミの恩師で、オリックスでトレーナーをやられていた松本隆司先生の紹介でM2trainerさとう治療院へ。スポーツマッサージをメーンとした鍼灸マッサージの治療院です。まず、そこでトレーナー業を始めました。最初は選手のコンディショニングの把握が一番大変だなと感じましたね。選手の何気ない変化に気付いて、ケガを未然に防ぐことが難しかったです」

体に痛みを抱えていても試合に出る一軍選手


 治療院で経験を積んでいた柳澤氏はひょんなきっかけでライオンズへの道がつながった。7年前、2016年の春季キャンプ。研修という形でプロ野球の現場へ赴いた柳澤氏だったが、その流れで入団することに。同年3月、ペナントレースが開幕してから1週間後くらいのことだった。

「まずはファーム担当でした。最初は流れをつかむのに戸惑いましたね。治療院の場合は患者さんが院にやってきて、診察する形じゃないですか。でも、スポーツ現場の場合は練習や試合があって、その流れの中で選手とコミュニケーションを取りながら進めていかなければいけません。だから、普段の何気ない会話も大切だなと感じましたね。

 選手とコミュニケーションを取るにしても、タイミングを計らないといけません。選手の表情や仕草を観察して、探りながら。自分なりにいろいろと気を使って、話しかけたりしましたね。

 だから、プロ野球のトレーナーで一番大切なのはコミュニケーションだと思います。もちろん、それは選手とだけではありません。コーチの方やS&Cなどほかのスタッフの方と密に話をして情報を共有するのは重要なことだと思います。僕は27歳のときにライオンズに入団して、スタッフにはだいぶ年配の方もいて。最初はコミュニケーションの取り方に悩みましたが、少しずつ話せるようになっていきました。

 今もファーム担当ですが、17、19年は一軍に帯同していました。役割にそんなに大きな違いがあるわけではないですが、やっぱり一軍選手のほうが気も張っていますし、圧倒的になんとしても試合に出るという気迫がありますね。

 ある選手は肩を亜脱臼しながらもグラウンドに立ち続けていました。そのほかにも試合中に指を脱臼しても自分ではめ直してベンチに下がらない選手も。こちらとしてはプレーできるかなと思うような状態でも、前を向いている。そこは本当に気持ちがなせる業だと思うんですけど、すごい気力だなと感心させられるばかりでしたね。

 例えばファームの場合は主力選手も張り詰めていた気持ちがなくなってしまうと思うんですよね。だから、痛かったものが、より痛くなる。でも、一軍では試合に出続けないといけないという責任感が強くなる。やっぱり、試合に対する姿勢も変わってくるのかなと感じましたね」

トレーナーとしてうれしい瞬間


選手のために力を尽くす柳澤トレーナー[写真=球団提供]


 常に選手に寄り添う。トレーナーとして、その心をしっかりと読み説かなければいけない。少しでも選手の状態が上がるように。日々、試行錯誤しながら選手のために、チームのために任務を遂行している。

「一日の流れはまず朝グラウンドに来て、ケガしている選手やケガをしそうな選手をチェックしてチームに報告します。ケガの状況を把握してから練習に入って、練習での動きがどうだったかをフィードバック。そこから試合に入っていきますね。日にもよりますが、1日で5、6人の選手を診る形になると思います。

 治療中に心掛けているのは、先ほどのコミュニケーションの話に重なりますが、選手の雰囲気に合わせることです。話し掛けないほうがいいのかなというときは話し掛けない。逆に、話したそうにしているときは話す。やっぱり、選手の気持ちを察することが重要ですね。

 最初、試合中にベンチに入ったときはかなりドキドキしましたね。特に一軍はお客さんもたくさんいますし、すごく緊張していましたね。デッドボールが当たったときなどは、プレーが不可能になると大変なので。アクシデントが起こらないことを祈っていました。もちろん、今は昔に比べたら冷静でいられています。

 そういえば僕が野球を始めるきっかけとなった松坂さんのことも何回か治療しました。それも緊張しましたね(笑)。アメリカでトミー・ジョン手術をしてリハビリ中に若手にケータリングを差し入れたらすごく喜んでくれたなど、いろいろな話もしてくださいましたが、本当にすごく周囲に気を使われる方でした。

 トレーナーとしてうれしい瞬間はやっぱり選手の痛みが取れて、コンディショニングが上がってくれることですね。実際に肩の状態がなかなか上がらない中、治療を続けていったことで改善して、選手からすごく感謝されたこともあります。そういったときは達成感がありますね。

 プロ野球のトレーナーを志している方に何かを言えるような立場ではありませんが、とにかく、できない理由を考えるより、どうすればいいか自分で手段を考えて前向きにやってみたほうがいいのではないかと思います。自分自身も人に聞きながら、道を切り開いてきたつもりなので。

 トレーナーとしての理想像ですか? そんなに壮大なものはないんですけど、なるべく選手に近いトレーナーでありたいですね。例えば年齢が上がったり、役職が付いたりすると、選手との距離は出やすくなってくると思います。でも、そこでなるべく選手との距離が離れずに、選手目線で仕事をすることを忘れないようにしたい。そのためにも、やはりコミュニケーションの重要性を常に胸に抱いて、仕事に一生懸命に取り組んでいきたいです」

文=小林光男
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