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プロ野球はみだし録

「巨人でなければ拒否」の菅野智之は1年の“浪人”。内海哲也、長野久義は制度の過渡期で3年も【プロ野球はみだし録】

 

自由獲得枠の誕生、希望枠の廃止


日大4年時の06年秋のドラフトで日本ハムから4巡目指名された長野


巨人でなければ拒否」と、プロに進まず“浪人”して、数年を経て巨人への入団を果たしたのは江川卓元木大介内海哲也長野久義、そして菅野智之の5人。江川、元木、そして現在も巨人に現役で在籍している菅野は1年の”浪人”だったものの、西武で現役を引退する内海と広島でプレーしている長野は3年に及んだ。

 内海も長野も、ドラフトの機会は制度の過渡期でもあった。祖父も巨人の選手だった内海にとって最初のドラフトは20世紀の最後、2000年の秋のこと。オリックス1位を拒否したのだが、このときは敦賀気比高3年と若く、東京ガスを経ての3年でも、大卒の選手よりは若い入団となる。高校生ではない選手を2人まで契約できる自由獲得枠が制度に導入されたのが翌01年。03年の秋に、その自由獲得枠で内海は入団を果たしている。

 その3年後、06年の秋に巨人を熱望したのが長野だ。ドラフトは05年に高校生のみ、大学生と社会人と分かれ、自由獲得枠は1球団1名までの希望枠と改められたばかり。近鉄の“消滅”を受けて楽天が参入、交流戦が始まったのが05年で、04年に裏金問題もあったドラフトも制度が二転三転していた。なお、この枠を使わない球団は高校生ドラフト2巡目で指名する権利を得られるという制度が複雑化した時期でもある。この06年に日大4年生の長野と相思相愛と思われていた巨人は長野を3巡目までに指名せず。すかさず4巡目に日本ハムが長野を指名する。これで長野は社会人のHondaへ進んだ。

 次のドラフト指名は08年の秋となったが、このとき制度が見直され、4年ぶりの“一括開催”に。紆余曲折を経て、現在に至る形に落ち着きつつある時期だ。名称はともあれ、大学生や社会人の“特別枠”も07年に廃止されており、制度の変遷に翻弄された感もあった長野だが、08年の巨人ドラフト1位は東海大相模高の大田泰示(現DeNA)で、ウエーバーの2位でロッテが長野を強行指名。これで長野は2度目の拒否となる。巨人が長野をドラフト1位で指名したのは翌09年の秋。これは初めて会議の様子が一般に公開されたドラフトでもあった。

文=犬企画マンホール 写真=BBM
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