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プロ野球はみだし録

「巨人でなければ社会人か留学」の元木大介。平成で最初のドラフト、直前まで揺れた巨人【プロ野球はみだし録】

 

方針の決定は会議1時間前


89年のドラフトでダイエーから1位指名された元木


巨人でなければ社会人野球の日本石油か、アメリカで野球留学をして次の機会を待ちます」と会見を開いたのは、上宮高の元木大介だ。1989年、時代が平成となって最初のドラフト会議が迫るタイミング。“逆指名”会見は異例のことだった。

 ドラフトで“逆指名”が制度に採用されるのは1993年のことで、その4年後。そのときも高校生には“逆指名”の権利は与えられていない。このときの会見も巨人と元木に密約があるという憶測を呼ぶなど騒動となった。さらに、同様に巨人の指名を熱望していた慶大の大森剛を刺激してしまう。

 のちに「本当は、巨人なら(指名)何位でもいいという気持ちでした」と振り返る大森だが、「それでいいかと思われたら損だし、とにかくアクションを起こさないといけない」と、発言が過激になっていく。「高校生(元木)の次じゃイヤ」から、会議の前日には「外れ1位でもイヤ」とまで言い放った大森。実際、巨人も揺れていた。最終的に巨人が1位で指名したのは大森だったが、方針が決まったのは会議の1時間前だと言い、藤田元司監督も「“大元森木”と書きたかった」とつぶやいている。

 なお、このときのドラフトは1位で8球団が野茂英雄(近鉄)に競合。実際には投打で野茂に匹敵するような名選手たちがいて、のちには「類まれな黄金ドラフト」と評価が覆ったものの、当時は「例年にない不作」と前評判は散々だった。それだけに、どの球団が野茂の交渉権を獲得するのか、そして巨人が誰を指名するかに興味が集中してしまったのも間違いないだろう。

 元木は野茂を外したダイエー(現在のソフトバンク)から1位で指名されたことで、巨人から指名される権利が消え、宣言どおり野球留学。次の年にドラフト1位で指名され、入団を果たしている。

 ただ、このときの元木に、過去の巨人を巡る記憶をよみがえらせたファンも少なくなかっただろう。同様に巨人を熱望し、ほかの球団から指名されたことで浪人して、1年後に入団を果たしたのが江川卓だ。だが、江川のときの騒動は、元木のときとは次元が違っていた。これについては、あらためて次回に詳しく。

文=犬企画マンホール 写真=BBM
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