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プロ野球はみだし録

江川卓と巨人のドラフト。1978年の「空白の1日」と巨人のいないドラフト会議【プロ野球はみだし録】

 

初の入札制で江川に4球団が競合も


ドラフトで騒動の渦中にいた江川


 古くからドラフトでクジ運の悪さに定評があった(?)巨人。1973年の秋に大学への進学を表明していた作新学院高の江川卓を“強行指名”できず、77年には2番目の指名順を引き当てながらも、1番目のクラウン(現在の西武)に江川を指名されてしまう。江川は入団を拒否して、浪人の道を選ぶ。そして迎えた運命の78年ドラフト。厳密には、運命の日といえるのはドラフト会議の前日だった。

 78年の秋、ドラフトはマイナーチェンジを遂げている。それまでは指名の順番をクジで決めていたのだが、78年からは入札制に。これで1人の選手に複数の球団による指名が競合する光景が見られるようになった。だが、まだドラフトも14度目に過ぎない。制度に“穴”があった。

 当時、ドラフト会議の前日は特殊な1日だった。ドラフトにおける交渉権が喪失するのは次回ドラフト会議の前々日までと規定されていたのだ。これは、手続きにかかる時間が必要として、あえて設けられていた1日であり、この1日は球団と選手との契約は凍結されるという暗黙の了解のようなものがあった。ただ、明確に規定されていなかったのも事実。そこに目をつけたのが巨人だった。違法とは言い切れないものの、脱法のようなもの。前年から政治家が暗躍していたこともあり、実に“政治的”だともいえる。

 江川とクラウン改め西武との交渉権はドラフト会議の前々日に消滅、ドラフト会議の前日だけは江川は自由の身、というのが巨人サイドの主張だった。いわゆる“空白の1日”。その日、巨人オーナーの正力亨は「巨人軍は本日、作新学院職員の江川卓投手と契約いたしました」と発表する。当然、大騒ぎとなり、鈴木龍二セ・リーグ会長は巨人の申請を却下。契約の無効を突き付けられた巨人は、球団代表の長谷川実雄が「こうなったらリーグ脱退だ。中央突破もやむを得ない」と発言、逆に「却下は野球協約違反であり撤回すべき」と提訴して、ドラフト会議をボイコットする。

 巨人のいないドラフト会議では、4球団が1位で江川に競合。交渉権を獲得したのは阪神だったが、結果的には、そのすべてが幻だった。

文=犬企画マンホール 写真=BBM
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