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プロ野球はみだし録

森昌彦、山倉和博ら不動の司令塔に次々と“刺客”を送り続け…巨人トレード史の一面【プロ野球はみだし録】

 

原点は最強の黄金時代


V9時代の正捕手・森


 2021年シーズン途中に楽天へ移籍したが、巨人西武でFAとなった炭谷銀仁朗を獲得したのが18年オフ。このとき巨人の正捕手は定まっていなかったが、古くから巨人は自らを支える不動の司令塔に、まるで“刺客”を送り込むかのように、捕手を獲得してきた歴史がある。

 原点はV9時代だ。当時の司令塔は森昌彦。のち森祇晶として西武の黄金時代を築いた名将の現役時代だが、トレードには“放出”というネガティブな印象が残っていた時期でもあり、森への“刺客”は新人の捕手だった。「森が故障したときのために」と言っていたのは川上哲治監督。森が初めて出場100試合を突破したのはプロ5年目の1959年で、川上監督の就任は61年、川上監督の勇退と森の現役引退は74年だが、61年からV9を決めた73年までで獲得した捕手は20人を数える。その中には、いわゆる“第2捕手”の候補として獲得したとは考えづらい顔ぶれもいた。

 時は流れ、80年代の司令塔は“意外性の男”の異名もあった山倉和博。打撃こそ“意外性”だったが、リードには安定感があって、投手陣から圧倒的な信頼を集めた正捕手だ。巨人は比較的、捕手が手薄だったのも確かだが、山倉への“刺客”は他チームの司令塔クラスといえる捕手で、森のときほど次々にというわけではなかったものの、新人に比べれば戦力として計算できる歴戦の捕手たち。獲得にあたってはトレードになるのだが、基本的には交換の選手、それも実績のある選手をチームから用意しなければならない。これらは独特のブランドを誇る巨人ということもあり、何かとドラマを呼んだ。

 山倉が正捕手となったのは80年。巨人がV9以来の日本一に返り咲いたのが81年だ。翌82年のペナントレースが開幕して間もなく、巨人は投手の藤城和明との交換で阪急の第2捕手だった笹本信二を獲得しているが、これは序章。笹本は巨人でも第2捕手として山倉のバックアップとして機能した。本格的な(?)“刺客”は85年オフ。獲得を画策したのは近鉄で梨田昌孝と司令塔の座を分け合っていた有田修三だった。このとき巻き起こったドラマについては、次回に詳しく。

文=犬企画マンホール 写真=BBM
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