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プロ野球“名将言行録”。ロッテは炎上?「もっと強いチームでやりたかった」【プロ野球はみだし録】

 

「6月には必ず上昇する」の“予言”も


1997、98年にロッテを率いた近藤監督


 新たに吉井理人監督が就任したロッテの原点は、2リーグ制“元年”の1950年に日本一となった毎日。ロッテとなって初のリーグ優勝は70年だが、初の日本一は74年で、このときは金田正一監督だった。

 国鉄(現在のヤクルト)と巨人で通算400勝を残した金田監督はパフォーマンスでもファンを沸かせたが、沸かせ過ぎた面も否めない。太平洋(現在の西武)との“遺恨試合”では最終的に警官隊も出動するほどの騒動に発展したが、そこには金田監督の挑発的な発言も大いに影響していた。実は太平洋の稲尾和久監督と「舌戦でパ・リーグを盛り上げよう」という話から始まったもので、これが結果、“炎上”してしまったというわけだ。ちなみに金田監督は90年から2年間も指揮を執って、川崎での最後の監督となっている。

 その後も、たびたびロッテの監督が“炎上”する場面は見られる。88年の最終戦ダブルヘッダー、いわゆる“10.19”では、近鉄が時間切れでリーグ優勝を逃し、9分間の抗議で試合を中断させた有藤道世監督に批判が集中している。その10年後、本拠地が現在の千葉へ移ってからだが、最下位に終わって退任した近藤昭仁監督が「もっと強いチームでやりたかった」と発言して、炎上。ファンの激怒を買っている。ただ、この98年は“七夕の悲劇”といわれる18連敗のあったシーズンで、これを契機に千葉の地元に熱狂的なファンが増えたともいわれ、やや逆説的だが、近藤監督の発言でファンの結束が強化されたという見方もできそうだ。

 一方、千葉で旋風を巻き起こしたのがボビー・バレンタイン監督だ。低迷が長かったロッテの監督に初めて就任したのが95年で、なかなか浮上しなかったが、バレンタイン監督は「2カ月だけ待ってくれ。6月には必ず上昇する」と発言、そして有言実行。最終的には2位に終わり1年で退任したが、2004年に復帰、翌05年には2位でシーズンを終えると、導入されて2年目のプレーオフで西武、ソフトバンクを破り、日本シリーズでも阪神を下して日本一に。ペナントレースでは125パターンものラインアップを組むなど、“ボビー・マジック”も話題となった。

文=犬企画マンホール 写真=BBM
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