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今中慎二、斎藤雅樹、星野伸之…「全盛期に国際大会で見たかった名投手」は?

 

 今年3月に開催されるWBCで、各国の現役メジャー・リーガーたちが参戦する。侍ジャパンからは大谷翔平(エンゼルス)、ダルビッシュ有(パドレス)、鈴木誠也(カブス)、ラーズ・ヌートバー(カージナルス)、2022年オフにオリックスからポスティングシステムでレッドソックスへの入団が決まった吉田正尚の5選手が出場予定だ。

 野球ファンが楽しみにしている一大イベントだが、30年前の1990年代まではこの状況が想像できなかった。WBCがまだ設立されておらず、オリンピックでもプロ選手の参加が初めて認められたのが00年のシドニー大会。それ以前は、プロが国家の威信をかけて真剣勝負を行う国際大会がなかった。今中慎二斎藤雅樹星野伸之……80〜90年代にかけて球界を代表するエースとして活躍した彼らの全盛期にWBCが開催されたら、どんな投球を見せていただろうか。

緩急自在の好左腕


中日・今中慎二


・今中慎二(中日)
※通算233試合登板、91勝69敗5セーブ、防御率3.15

 26歳のシーズンまでに87勝をマーク。登板過多が影響して全盛期は短かったが、その活躍は強烈だった。細身の体型で左腕から繰り出される140キロ台の直球と100キロ前後のカーブ、さらに80キロ台の超スローカーブで打者を惑わす。93年は17勝7敗、防御率2.20、247奪三振で最多勝、最多奪三振を獲得。30試合の先発登板でリーグトップの14完投、249イニングと投げまくった。

 緩急自在の投球で空振りを奪う今中の投球は独特の世界を作り出していた。快速球のあと、大きな弧を描いて落ちてくる超スローカーブで助っ人外国人たちは茫然とした表情に。メジャーに挑戦した日本人の先発投手は野茂英雄を筆頭に、黒田博樹、ダルビッシュ、田中将大、大谷翔平と右腕の活躍が目立つが、先発左腕の活躍例が少ない。今中が全盛期に海の向こうを渡っていたらどんな投球を見せていたか――。

平成初の沢村賞右腕


巨人・斎藤雅樹


・斎藤雅樹(巨人)
※通算426試合登板、180勝96敗11セーブ、防御率2.77

 80年代後半から90年代にかけて、巨人は斎藤雅樹、槙原寛己桑田真澄と強固な先発3本柱を形成していたが、「巨人のエース」で連想するのは斎藤雅だっただろう。その安定感は圧巻だった。平成で唯一の2年連続20勝をマーク。89年に11連続完投勝利の日本記録を達成し、最多勝、最優秀防御率、平成初の沢村賞を受賞すると、90年も8試合連続完投勝利を挙げるなど最多勝、最優秀防御率、最優秀選手とタイトルを総ナメに。「斎藤が投げる試合は負けない」が合言葉だった。

 右のサイドから140キロ中盤の直球、キレ味鋭いスライダーでテンポ良く打者を抑え込み、制球も間違えない。外国人打者にも強く、メジャー通算256本塁打をマークし、ヤクルトで本塁打王を獲得したラリー・パリッシュを打率.094(32打数3安打)、0本塁打、19三振と抑え込んだ。当時侍ジャパンが創設されていたら、斎藤が先発の大黒柱だったことは間違いない。

唯一無二の投球スタイル


オリックス・星野伸之


・星野伸之(阪急、オリックス、阪神)
※通算427試合登板、176勝140敗2セーブ、防御率3.64 

 その投球スタイルは唯一無二だった。身長183センチの長身だが、体重は60キロ台と線が細い。直球は常時120キロ台が、NPB史上21位の2041奪三振をマークした実力が星野の魅力を物語っている。87年から11年連続2ケタ勝利をマーク。高校時代はオーソドックスな投球フォームだったが、プロ入り後は徐々にテークバックが小さくなり、投げる直前まで左手を体の横に隠す独自のフォームを確立する。

 腕の出どころが見えにくい上に、70〜80キロ台のスローカーブが直球と同じフォームで投げられるため打者はタイミングが合わない。50キロ以上の球速差が、120キロ台の直球を剛速球に錯覚させる。清原和博(西武)、初芝清(ロッテ)らパ・リーグの強打者たちは最も直球が速い投手に、星野の名前を挙げていた。南海、ダイエーでプレーしたトニー・バナザードも星野を嫌がり、スローカーブを3球連続で空振りした後の打席で、バットを逆さまに構えて白旗をあげたことも。メジャーのパワーヒッターと対戦する姿を見たかった。

写真=BBM
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