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センバツ連覇へ心身充実の「世代No.1」大阪桐蔭・前田悠伍 こだわるのは失点、西谷監督の評価は?

 

主将としての鋼のメンタル


大阪桐蔭高の148キロ左腕・前田は、プロ注目投手。今春のセンバツでは史上初となる2度目の春連覇を狙う[写真=牛島寿人]


 第95回記念選抜高校野球大会の選考委員会が1月27日、大阪市内で行われ、出場36校が決まった。

 大阪桐蔭高の148キロ左腕・前田悠伍は2023年の高校3年生で「世代No.1」と言われる。1学年上には川原嗣貴(Honda鈴鹿)、別所孝亮(慶大)の右腕2人が両輪として控えていた一方で、前田も1年秋から背番号14(昨春のセンバツから11)を着け、大事な試合を任されてきた。優勝した2年春のセンバツでは近江高(滋賀)との決勝を、7回1失点で勝利投手。同夏の大阪大会決勝(対履正社高)では、8回無失点でチームを4季連続甲子園出場へと導いた。

 夏の甲子園では下関国際高(山口)との準々決勝で救援するも、逆転負けを喫して敗戦投手。試合後は大粒の涙を流したが、教訓を次に生かすだけの学習能力があった。新チームでは西谷浩一監督が経験値を買い、人生初の主将に指名された。2年秋以降は初めて背番号1を着け大阪大会、近畿大会を制し、明治神宮大会で史上初となる連覇を達成。公式戦15試合中12試合に登板し11勝無敗(7完投、3完封)、88回で102奪三振と圧倒した。

「世代No.1」。とにかく完成度が高い。実績だけでは評価できない、裏付けがある。

 まずは、名門校をけん引する主将としての鋼のメンタルである。前田は言う。

「キャプテンに就任した際、西谷先生(監督)と橋本(翔太郎)先生(コーチ)からこう言われたんです。『野球人として、人間的な成長なくして、技術的進歩なし』と。この言葉を大事にしています」

 2年夏までは、下級生の立場。頼りになる3年生がおり、ノビノビとプレーしていれば良かった。西谷監督は明かす。

「昨年の3年生は主将・星子(星子天真、青学大進学)や、前田とバッテリーを組んだ松尾(松尾汐恩DeNA1位)をはじめ、心が豊かな子が多かった。普通は後輩が気を使ったりするものですが、3年生には『あとは、任せておけよ!』という包容力があった。前田からしてみれば、今までで一番、やりやすかった1年だったと思います」

 しかし、最上級生、しかも主将ともなれば、西谷監督からの要求も当然、高くなる。

「すごくしゃべるタイプでありませんが、芯の強い子です。ましてや投手なので、弱いところを見せてはイカン、と。試合で表情を崩すことがないのも、そういったところからきていると思います。キャプテンというのは、いろいろなものを背負わないといけない。私の注文も多くなる。私と接する機会も増え、グラウンドで『前田!』と呼べば、また、注意されると予測してか、渋い表情でやってきますよ(苦笑)。もともと自分のことはしっかりやる子。そこに主将として視野が広がり、リーダー性も出てきた。はまってきたと思います」

昨秋、2つのターニングポイント


西谷監督[左]は主将として、前田の昨秋からの成長を認めている[写真=矢野寿明]


 相思相愛だった。前田は中学時代に在籍した湖北ボーイズでも頭一つ抜けた存在で、1年時に選抜された代表チームでは世界一を経験している。幼少時から大阪桐蔭高一本だった。

「小学1年時に藤浪さん(藤浪晋太郎、23年からアスレチックス)が春夏連覇を遂げ、2度目の春夏連覇の18年はボーイズの先輩・横川さん(横川凱、現巨人)がプレーし、確信したんです。プロへの一番の近道というか、プロへ行くためには大阪桐蔭しかない、と」

 大阪桐蔭高以外の強豪校からも熱烈なアプローチを受けたが、志望校は変わらなかった。

「誰からも慕われていた、横川のおかげです。チーム(湖北ボーイズ)も信頼して送ってくれました。前田に限らず、毎年のことですが、縁のあった選手は、大事に育てていかないといけないと思いました」(西谷監督)

 特別扱いをしたわけではない。毎年、勝利が使命とされる名門校で、心身を磨いた。

「学校では、ごく一般的な高校生です。野球部では早くからチームの中心というか、普通の下級生とは違う責任感を、ずっと持ち続けてきた子ではあります」(西谷監督)

 新チームで主将となり、自覚と覚悟がさらに増した。昨秋、2つのターニングポイントがあった。

 センバツの近畿地区の一般選考枠は6(大阪桐蔭高が明治神宮大会で優勝し、同地区に明治神宮大会枠で7)。4強進出が当確ラインであり、近畿大会準々決勝が事実上、センバツを決める大一番であった。彦根総合高(滋賀)との一戦。前田はコンディション不良ながら、修正能力の高さで、4失点完投勝利を挙げた。

 大阪桐蔭高は同年のセンバツ優勝校。全員で紫紺の大優勝旗を返還することが「最低目標」だった。この条件をほぼクリアできたことにより、西谷監督は前田の将来性を見据え、準決勝以降の登板は考えていなかった。龍谷大平安高(京都)との準決勝は5投手の継投で勝ち上がった。中1日の決勝を控え、幸いトレーナーによれば、前田の体調は100パーセントの状態に回復していたという。

「前田が『明後日(の決勝)は誰が投げますか?』と聞いてきたんです。私が別の投手の名前を挙げると『僕が投げたほうが、チームにとっても良いと思います』と。私は冗談交じりに『生意気なことを言うな(笑)』と言って、一度、考えることにしました。結果的に前田を投げさせないで負けたら、皆の言い訳になるかな? と思い、体調面を確認した上でほうらせることにしたんです」

 報徳学園高(兵庫)との決勝を1対0の完封勝利。あらためて、前田は存在感を見せた。

目指すは負けない投手


 もう一つ、西谷監督を悩ませたのは明治神宮大会決勝だ。前田は仙台育英高(宮城)との準決勝を161球で4失点完投勝利。広陵高(広島)との決勝まで中1日も、指揮官は疲労度から前田を登板させるプランはなかった。しかし、雨天順延により、中2日となり、状況が変わった。

「準決勝翌日、あえて前田には投手起用についての話はしませんでした。話せば『行きます!』と言うのは分かり切っていましたので……。決勝が雨天中止となった日の練習で、神宮大会以降の話をすると、前田のほうから『最後、勝って終わるのと、負けて終わるのでは違うのでは……』と。ここでも私は『生意気なことを言うな(笑)』と言って、一晩をかけて、熟考することにしました」

 西谷監督は翌日のコンディションが問題ないと判断し、展開次第で前田の救援を考えていた。4回裏までに0対5。西谷監督は試合後の取材で、こう説明した。「何も言っていませんが、(前田が)勝手にブルペンに行きまして……」と話すと、横にいた前田は「自分が投げて、流れを変えたかった」と話した。大阪桐蔭高は5回表に追いつき、6回表に勝ち越し。その裏から前田が4回無失点に抑え(6対5)、2年連続で秋日本一の胴上げ投手となった。

 前田が最もこだわる数字は、失点である。

「奪三振とかも大事かと思いますが、それよりも点の取られにくさ、を重要視しています」

 目指すは「負けない投手」だ。象徴的だったのは、先述の仙台育英高との明治神宮大会準決勝。10四死球を与えながらも1試合を投げ切るのは、あまりないケース。明らかに完投ペースとは言えない中でも、マウンドを守ったのは、投球リズムが根底にある。テンポの良さで、10四死球を感じさせない。劣勢の展開でも打線がつながり、逆転勝利を収めた。

「野手陣がカバーしてくれるので、ありがたいです。いかに走者を出した際、粘り強い投球ができるか。1失点をしても、次の失点を防ぐ。最少失点で抑えることが大切です」

 変化球はカーブ、スライダー、チェンジアップ、ツーシームと精度が高い。打者の構えや雰囲気で、ストレートにも強弱をつけられるという。しかも、マウンド上では常にポーカーフェイス。史上初の2度目となるセンバツ連覇へ、心身が充実する前田に死角はない。自身3季連続となる甲子園で「世代No.1」を、あらためて証明する。

文=岡本朋祐
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