「こんな悲運の男がどこにおるんや」
近鉄時代の西本監督
2004年のシーズンを最後に、その歴史に幕を下ろした近鉄。リーグ優勝は4度も、最後まで日本一はならなかったが、とにかく劇的なチームだった。本拠地の大阪ドームでの最終戦で、「胸を張って戦え。君たち全員が近鉄の永久欠番だ」とナインに語り掛けたのが
梨田昌孝監督。選手として近鉄ひと筋を貫いた名捕手が、2001年に最後のリーグ優勝へと導き、そして最後の指揮官となった。
若手時代の梨田と、チームメートの
羽田耕一とともに「お前らがいたから近鉄に来たんや」と言ったのが
西本幸雄監督だ。“灰色”といわれた阪急(現在の
オリックス)を初のリーグ優勝に導き、黄金時代を築いた名将が、1974年に近鉄の監督に。就任6年目の79年が近鉄にとって初のリーグ優勝だった。
大毎(現在の
ロッテ)、阪急、近鉄と何度もリーグ優勝を飾りながら日本一に届かなかった西本監督には“悲運の名将(闘将とも)”の異名があったが、79年のリーグ優勝を決めたときには、「長年、努力してきた若者たちが、パーッと輝いてくる時期がある。それが今の近鉄や。その場に立ち会えたワシは本当に幸せやと思う。こんな幸せを味わえる悲運の男がどこにおるんや」、
広島との日本シリーズに敗れると「ワシは7回(日本シリーズで)負けたけど、選手は初めてや。あまりいじめんといてな」とマスコミに語っている。
近鉄は翌80年にリーグ連覇。3度目の歓喜は89年で、率いていたのは
仰木彬監督。89年も終盤戦の
ブライアント4打数連続本塁打や
巨人との日本シリーズ3連勝4連敗などドラマチックだったが、仰木監督の時代で最大のドラマといえるのが前年の88年だ。黄金時代の
西武と激しく王座を争った近鉄は、10月19日のロッテとの最終戦ダブルヘッダー(川崎)に2連勝で優勝、というところまで西武を猛追、第1試合で辛勝も、第2試合で時間切れのために引き分け。優勝を逃した仰木監督は「選手たちは一生懸命やってくれた。私には悔いはない」と矜持を見せて、翌89年に雪辱を果たしている。ちなみに、このダブルヘッダーを最後に現役を引退したのが梨田だった。
文=犬企画マンホール 写真=BBM