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プロ野球はみだし録

“生涯一捕手”野村克也、最後のキャンプ。「あとから続く選手たちの参考になればと思ってね」【プロ野球はみだし録】

 

プロ26年目、45歳となるシーズンに


1980年8月1日、通算3000試合出場を達成したときの野村


 野村克也の現役ラストイヤーは1980年だった。テスト生として54年に南海(現在のソフトバンク)入団、わずか1年で解雇の可能性もあったものの、3年目にレギュラーとなり、4年目には本塁打王に。61年からは8年連続で本塁打王、65年が戦後で最初の三冠王だ。70年からは監督を兼任も、77年シーズン終盤に監督を解任され、南海も退団。“生涯一捕手”を掲げて、ロッテを経て79年に西武として生まれ変わったライオンズへ移籍していた。80年は野村にとってプロ26年目で、45歳を迎えるシーズン。前人未到の通算3000試合出場にも迫っていた。

 西武は高知県の春野でキャンプを張っていた。そこでの野村の行動は、全体の練習スケジュールとは別行動で、バットも握らず、ブルペンにも座らず。誰の目にも異様に映ったという。ただ、野村と同室だった外野手の春日昭之介が、部屋で野村のノートを目撃している。春日はプロ6年目。野村の机上にあったノートには、何かの実験レポートのように数字が箇条書きで列挙されていたという。その数字は、ほかの選手よりも圧倒的に少ないキャッチボールの数、同じくランニング量、受けたノックの数、そして誰もいないサーキット場で黙々とこなしたウエートトレーニングの回数だった。

 のちにヤクルトの監督としてID(Important Date)野球を掲げる野村だが、現役ラストイヤーの野村は45歳となる自らを実験台に、自身のこなした特別メニューを徹底的にメモしていたのだ。ただ、このときの野村はオフに現役を引退することを決めていたわけではなかったが、このメモについては「現役として、どこまでやれるか。(現役)晩年のキャンプでの調整法は、どうしたらいいのか。あとから続く選手たちの参考になればいいと思ってね」と振り返っている。

 野村は8月1日には通算3000試合出場に到達。だが9月、自らの打席に代打を送られ、無意識のうちに代打策の失敗を願った自分に気づいたことで、引退を決めたという。通算3017試合出場のレジェンドがファンに引退を告げたのは11月16日、ファン感謝デーでのことだった。

文=犬企画マンホール 写真=BBM
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