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プロ野球もしもオーダー

原辰徳か、田代富雄か。ドラフトで大洋が原の交渉権を獲得していたら?【プロ野球もしもオーダー】

 

人気の“オバQ”田代、地元スターの原


プロ3年目に打点王、MVPに輝いた原


 第2回WBCで侍ジャパンを連覇に導き、現在は巨人を率いる原辰徳監督。選手としても指導者としても巨人ひと筋の原が、もし高校生のときにドラフトで巨人に指名されて入団していたら……という夢の世界は前回お届けした。多くの読者には説明も不要だろうが、実際の原は東海大からドラフト1位で1981年に巨人へ。ただ、このドラフトでは4球団が競合している。原は巨人が交渉権を獲得する幸運を疑うことなく、実際そのとおりになったわけだが、アマチュア時代からの盟友といえる江川卓を筆頭に、このクジ運に泣かされた選手は少なくない。江川や甥の菅野智之のように浪人の道を選んだかもしれないが、まだ当時は、いわゆる“江川事件”のインパクトも残っていた時期。もし原が他のチームでプレーしていたら、どうなっていただろうか。

 ドラフトで原を指名したのは、指名の順に大洋(現在のDeNA)、日本ハム、巨人、広島。今回は原の出身地でもある神奈川県に本拠地を置く大洋へ入団していたら、という夢を追いかけてみたい。原のキャリアハイはプロ3年目の83年で、32本塁打、自己最多103打点で巨人のリーグ優勝に貢献して打点王、MVP。一方の大洋は、80年代は全般的に低迷していたものの、この83年が唯一のAクラスで、長くエースを担ってきた平松政次が通算200勝に到達、江川をライバル視して腕を磨いていた遠藤一彦が12連勝を含む18勝を挙げて初の最多勝に沢村賞で新エースに名乗りを上げ、斉藤明夫は32セーブポイントで最優秀救援投手と、投手陣の活躍が目立って、優勝した巨人と11ゲーム差、4位の阪神とは0.5ゲーム差ながら、3位に立っている。

 この83年、巨人における原の打順と守備位置を、そのまま自動的に大洋のベストオーダーへスライドさせてみよう。大洋の四番打者には原を入れて、三塁手を控えに回すと、以下のようなラインアップとなる。

1(二)高木豊
2(遊)山下大輔
3(左)長崎啓二
4(三)原辰徳
5(一)レオン・リー
6(右)ジム・トレーシー
7(中)屋鋪要
8(捕)辻恭彦
9(投)遠藤一彦

実際のベストオーダーは?


1983年、田代は28本塁打を放っていた


 80年代の大洋といえば高木豊、加藤博一、屋鋪要の韋駄天3人が打順の一番から三番に並ぶ“スーパーカー・トリオ”の印象も強いが、この83年は高木こそ一番で打率3割をクリアしているものの、加藤が移籍してきたばかりで、屋鋪も勝負強さを秘めた打撃というよりは足と守備のスイッチヒッターというイメージのほうが強かった時期だ。トリオ結成には、あと2年の時間を必要とする。

 トリオの後を打つ四番だったレオン・リーは、83年も四番打者がメーンで、移籍1年目ながら30本塁打、98打点と活躍したが、打率も含む打撃3部門すべてで原に軍配が上がる。トリオの時代は三塁に回っていたが、このときは一塁手で、レオンを五番に下げて、五番にいる三塁手を外してみると、原に弾かれる形となったのは“オバQ”田代富雄だ。田代は80年に自己最多の36本塁打を放ち、そのキャラクターでもファンに愛された長距離砲。だが、原がプロ入りした81年の30本塁打を最後に、豪快なスイングこそ健在だったものの、大台を突破していない。もし原が大洋でプロ3年目を迎えていたら、田代が控えに甘んじていた可能性もありそうだ。

 とはいえ、田代の打棒も控えに回すには惜しい。とはいえ、同じ内野で遊撃手の山下大輔は攻守の要。実際の原がキャリア後半に外野へ回ったように、原が外野を守れば打線は充実しそうだ。だが、外野は長崎啓二もジム・トレーシーも打率3割と好調。ただ、屋鋪のいない外野陣には不安もある。どうすれば11ゲーム差を逆転させて王座に到達できるか。では、続きはファンの皆様の夢の中で。

1(二)高木豊
2(遊)山下大輔
3(左)長崎啓二
4(一)レオン・リー
5(三)田代富雄
6(右)ジム・トレーシー
7(中)屋鋪要
8(捕)辻恭彦
9(投)遠藤一彦

文=犬企画マンホール 写真=BBM
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