1月30日、『よみがえる1958年-69年のプロ野球』第1弾、1958年編が発売された。その中の記事を時々掲載します。 『よみがえる1958年-69年のプロ野球』1958年編表紙
汽車の中の大演奏大会
プロ野球の歴史を1年1冊で振り返る「よみがえるプロ野球シリーズ」。これまで3年間にわたり、1980年代、90年代、70年代をエクストラを含めれば、36冊で振り返ってきたが、2023年の第4シリーズでは、1958年から69年までの12年間を振り返っていく。
資料が少ない時代であり、これまでより多少制作時間が必要になるため、今回は2カ月に1冊で2024年完結の予定とさせていただくことにした。
間が少し空くので、時々、内容をちょい出しします。
メーン記事は購読していただければと思っているので、結構、どうでもいい話が多くなりそうです。
では、今回は1958年編から「東映のチーム情報ページ」の記事をピックアップし、加筆して掲載を──。
今回は現
日本ハムの東映フライヤーズの話を。
当時のパは南海、大毎、東映、西鉄、阪急、近鉄の時代である。
パ球団の本拠地は、東京から九州まであるが、当時の交通事情もあって、汽車移動の時間がとにかく長い。しかも当時は椅子も硬く、今の移動以上にストレスがたまった。選手たちは睡眠や読書、トランプと、さまざまな暇つぶしをしているが、この年の東映は、ちょっと違った。汽車の中をたっぷり楽しませてくれる“楽団”があったのだ。
西田亨のウクレレ、
西園寺昭夫のギターで構成されているもので、特にハワイ出身の西田のウクレレが絶品。これに合わせ、普段は物静かなラドラが美声で『銀座カンカン娘』を歌うと、ほかの乗客も大喜びになる。アン
コールをせがまれると、西田が『ベサメムーチョ』とラテンミュージックで大盛り上がりになり、まるで旅芸人・東映一座のようでもあった。
この年、台風22号が9月26日、東日本で猛威を振るったが、大阪から東京に帰る途中で、東映一座がぶつかった。26日、午前9時大阪発の『特急つばめ』に乗車したのだが、富士駅で12時間の停車。
それでも元気者がそろう東映ナインは、ベテランの
米川泰夫を先頭に階段の登り降りのトレーニングをしたり、プラットホームでは不安そうな他の乗客の前で、東映一座のひょうきん者・西園寺昭夫がプロ野球のスター選手や人気力士の物まねを披露し、拍手を送られていた。
ただ、西園寺と西田亨が残念そうな顔をしたのが、前述のギター、ウクレレをこの遠征に持ってきていなかったことだ。あれば、さぞかしみんな喜んだのに……。
汽車は翌朝9時に動いたが、小田原でまた止まり、選手は貸し切りバスを手配し、午後2時過ぎ、合宿に無事到着した。