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酔いどれの鉄腕

亡くなった門田博光との思い出。あいつの脱臼癖はサーフィンからだと思うよ/佐藤道郎『酔いどれの鉄腕』

 

 元南海-大洋の佐藤道郎氏の書籍『酔いどれの鉄腕』が2月4日にベースボール・マガジン社から発売された。

 南海時代は大阪球場を沸かせたクローザーにして、引退後は多くの選手を育て上げた名投手コーチが、恩師・野村克也監督、稲尾和久監督との秘話、現役時代に仲が良かった江本孟紀門田博光、コーチ時代の落合博満村田兆治ら、仲間たちと過ごした山あり谷ありのプロ野球人生を語り尽くす一冊だ。

 これは不定期で、その内容の一部を掲載していく連載である。

門田と片平の一本足打法の違い


『酔いどれの鉄腕』表紙


 今回は書籍の中からではなく、盟友・門田博光さんの死去を受け、『週刊ベースボール2月27日号』に掲載したものを再録する。

 亡くなったカド(門田博光。元南海ほか)は俺と同じ年で、入団も同じ1970年。俺がドラフト1位で、あいつが2位だった。社会人出で、確かもう結婚していたから、本当は免除だったはずだけど、自分から希望し、中百舌鳥の寮に入った。「野球に集中したいんだ」と言っていたが、俺は「こんな汚ねえ寮に物好きなもんだ」と思っていた。

 若手時代のバッティングは、一本足で鋭い打球は飛ばしていたけど、ホームランバッターというより、3割ならいつでも打てるタイプ。南海の一本足打法となると、後輩の片平(片平晋作)もいたが、カドは違っていた。

 片平は王貞治さん(巨人)のマネ。福岡の宿舎だったと思うけど、メシ食って飲みに行く前に、みんなで巨人戦を見ていたら、王さんが指に絆創膏をぐるぐる巻いていた。それを見て、「片平が、あした必ず同じところに絆創膏を巻くぜ」と言ったら、ほんとに次の日、巻いていて、「お前はマメができるほどバット振ってねえだろ」とみんなでからかったよ。

 カドが片平の打撃練習を見て、「そんなに気持ちよさそうにカンカン打ってオーバーフェンスをしても、ピッチャーは1球1球タイミングを変えてくるんだ。それで試合で打てるのか」と言っていたことがある。

 実際、カドの練習はすごかったよ。わざと体を早めに突っ込ませ、タイミングが崩れた状態で打ったり、足を上げずに逆方向に打ったりしていた。

 ベテランの打撃投手に「もっと前で速く投げてください」と言っていたときもあった。その人は「緩い球を投げるのに慣れたから、速い球はしんどいんだよ」とぼやいていたが、カドは、そこからさらに自分で近寄って打っていた。

 コーチからは、「逆に腰が早く開き過ぎるクセがつくぞ」と言われてたけど、「そうならないための練習です」と続けていた。

 守備もうまかった。ライトを守っていたけど、特に送球。捕ってからが早くて、コントロールもよかったから、サードやホームでずいぶん殺してくれた。テークバックは大きいけど、球がピュッと伸びてね。走者セカンドでライト前に打たれても、相手の三塁コーチが走者を止めてくれたから、もう1回勝負ができた。

ブレザー事件


 肩の脱臼クセは有名だよね。オリックス時代、ホームランを打ったブーマーとハイタッチをして抜けたことがあったけど、最初は1973年のオフだったと思う。リーグ優勝したあとのチームのハワイ旅行ね。

 あいつ生まれが奈良県だから海がないでしょ。海で泳いだこともないと言っていたけど、あのときはサーフィンに夢中になった。ホテルで「ミチ、サーフィン面白いわ」って言っていたが、次の日、こけて海に落ちたときに肩を脱臼して、それから肩の周囲の筋肉を固めるためにウエートをやるようになったんだ。

 結果的には、それで上半身のパワーがつき、さらにアキレス腱を断裂したことで、走らなくていいホームランにこだわり抜くようになったんだと思う。

 遠征先や水島新司先生に誘われたときとか、カドと一緒に飲みに行ったことは多い。けど、あいつは麻雀はあまりしないし、人付き合いがいいほうじゃなかったから、そんな頻繁というわけじゃない。向こうから誘うこともなかったしね。

 酒の席では、お互いの悩み事の相談とかそういう会話にはならなかったな。俺は香水の匂いが好きで、お姉ちゃんがいる店が好きだったが、あいつは女の話はせず、ひたすら飲んでたしね。

 カドを誘って中洲で夜中の1時過ぎまで飲んで、そのままそっと部屋に戻ったときもあった。部屋が隣同士だったんだが、こっちが歯を磨いていたら、なんか音がする。バットをビュンビュン振っていたんだね。飲んで帰っても、振らないと落ち着かないと言ってた。

 あいつは、いつも枕元にバットを置いて寝ていたんだ。「バットは刀だ」って言ってね。さわるとむちゃくちゃ怒ったよ。

 俺が南海の選手会長をしていたとき、二軍監督の穴吹義雄さんから「二軍の選手はカネがないから、そろいのブレザーをつくるように球団に掛け合ってくれるか」と言われたことがある。俺は「嫌ですよ、みんなで同じ服なんて。恥ずかしくて銀座に飲みに行けないでしょ」って言ったんだけど、「二軍は仕送りをしてもらってる子も多いんだ。頼むよ」と言われ、球団に掛け合ってOKをもらい、それを一軍の連中に説明したときだった。

 カドが「冗談じゃない。プロ野球の選手がそろいのブレザーなんか着てられるか」と文句を言ってきた。「うるせえ、あとで話すから待っとけ」と言って、ほかに説明し、そのあと、あらためてカドに「俺だってチーム名が縫い付けられたブレザーなんか着たくないけど、二軍の連中は大変なんだ。うんと言ってくれよ」と言って了承してもらった。

 ちゃんと正面から話をすると分かってくれる男だった。

 あいつが2年目に打点王を獲ったとき、野村克也さんがカドに100万円の時計をプレゼントしたと聞いた。俺はそんなのもらったことないよ。自分の後釜、次期四番の期待もあったと思う。

 その分、カドへの注文も多かったけど、カドは納得できなければ、野村さん相手でも反発した。前にエンドランのサインで3ランを打ったとき、「転がすサインなのになんだ。罰金や」となり、「なんでや」って、ぶんむくれた話をしたけど、2人が仲悪いと思っていた人は多いんじゃないかな。でも、俺にはカドが野村さんにじゃれてるようにも見えた。投手と野手じゃなく、野手同士というのは、また違うだろうしね。

 今ごろは2人で、空の上で打撃論をかわしているのかな。それとも、ぶつぶつ文句を言い合っているかもね。
週刊ベースボール編集部

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