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プロ野球もしもオーダー

第1回&2回WBCの主役。イチローがオリックス1年目から全試合に出場していたら?【プロ野球もしもオーダー】

 

2年間で83試合の鈴木一朗が


1992年、1年目のイチロー


 第1回のWBCを制し、あらためて侍ジャパンとして臨んだ第2回も連覇。ともにMVPはエースの松坂大輔(西武、レッドソックス)だったが、不振に苦しむ姿も含め、主役といえるのはイチローだった気がする。第1回のときには、ふだんはクールなイチローが闘志を前面に押し出し、その姿に多くのファンが心を震わせた。第2回は決勝の韓国戦で、延長戦の土壇場で勝ち越し打。少年のように喜ぶチームリーダーの姿に、野球がおもしろい、という当たり前のことを、あらためて思い知らされた。

 最終的には日米通算4367安打を残して世界の頂点に立っているイチロー。21世紀とともにマリナーズでプレーして、1年目から首位打者、盗塁王、新人王、MVPなどに輝いて、第1回および第2回WBCのときには、すでに世界で知られた存在だった。プロ野球ではオリックスひと筋で、ドラフト4位で1992年に入団して、3年目の94年にブレーク。ただ、ブレークというには、すさまじいシーズンだった。プロ野球で初めてシーズン200安打を突破する210安打を放ち、打率.385で首位打者に。それまでの2年間は一軍に定着したとは言えなかっただけに、仰木彬監督への賛辞とともに、前年までの指揮官だった土井正三監督に批判が集まる事態にもなっている。

 登録名が「イチロー」となったのは仰木監督の売り出し策で、それまでは「鈴木一朗」。1年目はウエスタン首位打者、ジュニア・オールスターMVPも一軍では40試合、2年目も43試合の出場にとどまっていた。それが3年目には全試合に出場して、前述の結果だ。もっと早くから使っていればと思うのも人情だろう。それでは、この夢の世界で、92年のベストオーダーに、94年のイチローを打順と守備位置を変えずにスライドさせてみよう。

1(中)イチロー
2(三)松永浩美
3(二)福良淳一
4(一)ケルビン・トーベ
5(指)石嶺和彦
6(左)高橋智
7(右)柴原実
8(遊)小川博文
9(捕)中嶋聡

実際のベストオーダーは?


外野で堅守を誇った本西


 のちの右翼手の印象も強いが、94年は「一番・中堅手」。それをスライドさせることで、機械的に打順を繰り下げてみた。戦略的には、打順の調整が必要だろう。イチローに弾き出される形になったのは、のちに右翼に回ったイチローと左翼の田口壮を従えるように中堅手として鉄壁の外野陣を形成した九番の本西厚博だ。実際、94年も本西はベストオーダーに姿はないが、それでも102試合に出場している。最終的にゴールデン・グラブ賞は1度だけだったが、この89年も規定打席に届いておらず、それでも選ばれるほどの外野守備の名手だった。ちなみに、イチローが初めて右翼手としてベストオーダーに名前が並ぶのは97年だ。

 さて、実際の92年にパ・リーグを制したのは黄金時代の西武。これに4.5ゲーム差と迫っていたのが仰木監督の率いる近鉄で、オリックスは首位の西武と18ゲーム差の3位だった。ただ、イチローが実際にブレークした94年は西武がリーグ5連覇を達成したシーズン。このときのオリックスは近鉄とダイエー(現在のソフトバンク)と三つ巴で2位を争うのが精いっぱいで、3チームとも西武に7.5ゲーム差ながら、オリックスは近鉄と同率で2位に並んでAクラス、わずか4毛の差でダイエーはBクラス4位だった。

 もしイチローが92年にリードオフマンとして94年のような活躍をしていたとしたら、ルーキーということもあって実際よりも大いに話題を集めて、リーグの風向きを変えていた可能性もありそうだが、それが18ゲーム差をくつがえすほどの強烈な追い風になっただろうか……。では、続きはファンの皆様の夢の中で。

(オリックス1992年のベストオーダー)
1(三)松永浩美
2(二)福良淳一
3(一)トーベ
4(指)石嶺和彦
5(左)高橋智
6(右)柴原実
7(遊)小川博文
8(捕)中嶋聡
9(中)本西厚博

文=犬企画マンホール 写真=BBM
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