元南海-大洋の佐藤道郎氏の書籍『酔いどれの鉄腕』が2月4日にベースボール・マガジン社から発売された。 南海時代は大阪球場を沸かせたクローザーにして、引退後は多くの選手を育て上げた名投手コーチが、恩師・野村克也監督、稲尾和久監督との秘話、現役時代に仲が良かった江本孟紀、門田博光、コーチ時代の落合博満、村田兆治ら、仲間たちと過ごした山あり谷ありのプロ野球人生を語り尽くす一冊だ。 これは不定期で、その内容の一部を掲載していく連載である。 あのとき太陽が黄色く見えた
『酔いどれの鉄腕』表紙
前回はきのう掲載だったので、次回はもっと先のつもりだったが、佐藤道郎さんから「ビートたけしさんの弟子の玉ちゃんがコラムで取り上げてくれていたようです。うれしいね」とショートメールが来た。
玉袋筋太郎さんの夕刊フジのコラムだ。ミチさんはガラケーなので気づかなかったようだが、お客さんに教えてもらい、読んだらしい。
編集部でも読ませていただいたが、手厚い、温かい、だから、とてもうれしいです。ありがとうございます。ミチさんともども感謝です。
今回のチョイ出しは何にしようか迷ったが、どうせなら酔いどれのミチさんが酒を飲まなかったときの話をしよう。
プロ4年目、1973年のキャンプの話だ。
1年目(1970年)は18勝で、2年目は指の故障でダメだったという話はしたけど、3年目はまずまずで、やっぱりリリーフだったけど、規定投球回には達し、9勝3敗で最優秀勝率投手のタイトルをもらったんだ。そのときは10勝しなくてもタイトルをもらえるんだと驚いたけどね(まだセーブ制度はなかった)。
1年おきって言われたくなかったから、あのときは絶対に結果を出したいって思っていた。この年もキャンプは半分が土佐中村で、半分が和歌山の田辺だったけど、最初の土佐中村ではとにかく練習した。食事も考えて、野菜と果物だけで肉も食わず、酒も飲まずにやっていたんだ。
すぐ7キロ痩せたよ。太陽が黄色く見えるようになったから、体のどっかがやばかったんだろうけど、大して気にしなかった。
土佐中村を打ち上げて、和歌山に移ったとき、「よし、ここまで頑張ったから、きょうから酒も肉も解禁にしよう!」と思って飲みに行ったら、いきなり胃けいれん。次の日も痛いは下痢は止まらんで、七転八倒した。少し治まってからタクシーで病院に行き、注射してもらったら痛みがすっと消えたけどね。
でも、旅館に帰ったらまた痛くなったんだ。コーチの
新山彰忠さんに「どうした?」って聞かれ、「下痢が止まりません。俺、大学のときに下痢が止まらなくなって、日本酒の熱燗を飲んだら治ったんですけど、いいですかね」って言った。
ウソじゃないよ、ほんとにそんなことがあったんだ。新山さんには「いや、お前、それやばいんじゃないの」って言われたけど、宿のおばちゃんに頼んで熱燗2合持ってきてもらって飲んだら、ケロッと治った。
新山さんに「お前は変わっているな」と、そのあと随分、言われたよ。
あの年は、せっかくだから節制は続けようと思って、あまり肉は食わなかった。でもね、そしたらシーズンに入って闘争心が湧かないんだ。打たれても、「お、あいつ、うまく打ったな」って思っちゃって、カッとくるものがない。
ああ、野球選手は肉を食わんといかんなと思って、途中から食べるようにしたけどね。