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プロ野球もしもオーダー

侍vs.野武士。落合博満が最初の三冠王となった1982年オフに中日へ来ていたら?【プロ野球もしもオーダー】

 

最年少の三冠王がオフに


1982年、ロッテで初めて三冠王に輝いた落合


 前回は、すでに落合博満中日へ来ていた1989年に、“野武士”こと82年のV戦士たちが集った「もしも」を考察してみた。82年は中日の8年ぶりVイヤーであり、ロッテにいた落合が当時の最年少で初めて三冠王に輝いたシーズンだ。

 ただ、中日は翌83年には5位に転落した。優勝した巨人とは18.5ゲーム差と、5位にしては差が離れていない印象もあるが、最下位のヤクルトとは0.5ゲーム差で、薄氷の差で最下位を免れた、という結果だった。前年に“野武士野球”を掲げた近藤貞雄監督は退任。一方、落合は三冠王にもかかわらず、その打撃3部門の数字が迫力に欠けたことを批判され、打率4割に挑戦するも前半戦で低迷して、かろうじて打率.332で3年連続の首位打者のみという不本意な(?)結果に終わっている。前回は落合のいる中日に“野武士”たちが集ったら、という想定だったが、今回は逆に、リーグ連覇を狙う83年の“野武士”たちの中に、そんな落合が加わったら、という夢を描いてみたい。

 実際の落合が中日へ移籍したのは2年連続3度目の三冠王となった86年オフ。このときの衝撃は超えられないかもしれないが、最年少の三冠王が移籍してくるだけでもインパクトは抜群。ちなみに、83年の落合は25本塁打、75打点とレギュラーに定着して以降で本塁打と打点では最小の数字だが、このときの中日では大島康徳が36本塁打で広島山本浩二とタイトルを分け合って初の本塁打王に輝いている。

 ほかにも谷沢健一が21本塁打、宇野勝が27本塁打、助っ人のケン・モッカは失速したものの15本塁打、捕手の中尾孝義も16本塁打で、リードオフマンの田尾安志も13本塁打と2ケタ本塁打の打者がズラリ。では、今回は82年のロッテにおけるベストオーダーから落合の打順と守備位置を83年の中日にスライドさせると、以下のようなラインアップとなる。

1(右)田尾安志
2(中)平野謙
3(二)落合博満
4(三)モッカ
5(一)谷沢健一
6(左)大島康徳
7(遊)宇野勝
8(捕)中尾孝義
9(投)郭源治

実際のベストオーダーは?


 82年の落合はロッテの「三番・二塁」で、主に四番を打っていたのは指名打者のレロン・リーだった。そのオフにレロンの弟でもあるレオン・リーが大洋(現在のDeNA)へ移籍したことで、翌83年に「四番・一塁」がメーンとなっている。落合が二塁手として打線に入ったことで弾き出されてしまったのは、前回と同様で実際は八番にいた上川誠二だ。上川は実際に落合が86年オフに中日へ来たときにトレード要員の1人としてロッテへ移籍、落合の背番号6を継承している。

 落合を三番に入れて、実際の三番から打順を繰り下げると、不振のモッカが四番になってくる。もし落合が打線にいたら、モッカが打順を下げる可能性がありそうだ。一方、83年のロッテでの打順と守備位置で完全に重なるのが谷沢。実際の落合がロッテの正三塁手となったのはベテランの有藤道世が外野に回った84年からだが、のちに近藤監督は大洋で一塁手と三塁手、二塁手と遊撃手とを交換する“裏返しコンバート”をやっており、実際の83年に初めて規定打席に到達した上川が二塁、落合が三塁を守って、モッカが控えに回ることもあるかもしれない。

 さて83年、実際の中日は投手陣の不振も低迷の一因で、接戦を落とすことも多かった。つまりは、接戦に持ち込まれないほど打ちまくればいいわけだ。3位の大洋とは7.5ゲーム差。連覇はかなわずとも、打線の強化でAクラスは狙いたい。では、続きはファンの皆様の夢の中で。

(中日1983年のベストオーダー)
1(右)田尾安志
2(中)平野謙
3(三)モッカ
4(一)谷沢健一
5(左)大島康徳
6(遊)宇野勝
7(捕)中尾孝義
8(二)上川誠二
9(投)郭源治

文=犬企画マンホール 写真=BBM
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