V9巨人の最強イヤーと
WBC、そしてメジャーのシーズンでも二刀流として打って、投げての大活躍をしている大谷
この第5回WBCで、あらためて
大谷翔平(エンゼルス)による投げて打ってのプレーを観て、同じ野球でありながらも、どこか別格の存在であることを思い知らされたファンも少なくないはずだ。異次元などというフワッとした存在ではない。野球という同じフィールドで躍動する姿は、かつて日本で見ていたはずなのだが、今更ながら新鮮でもあった。
一方、時計の針どころか時代を大きくさかのぼると、こうした“二刀流”の選手が多い時代もあった。現在は投手の中でも分業制が進み、定着しているが、かつては投手と野手の分業も明確ではない選手もいて、在籍する選手が現在に比べて圧倒的に少なかったこともあり、投手として登板してから打者として守備に就く、または各自の守備位置からリリーフのマウンドに上がる、あるいは普段は投手だが登板のない日には野手として打線に並ぶ、というケースも多かったのだ。
今回は、こうした“二刀流”の選手たちを集めてみたい。投手として一軍で登板して、打者としても活躍した選手が対象だ。とはいえ、大谷タイプの“二刀流”は少なく、広い意味では、大きく分けてキャリア前半が投手、後半が野手という選手も“二刀流”と表現される。近年(でもないが……)の
永淵洋三(近鉄ほか)も投手と外野手を兼ねたシーズンは1年だけで、ほとんどのキャリアを野手として過ごした。
こうした広義での“二刀流”で、監督として最も優れた結果を残したのは、間違いなく
巨人をV9に導いた
川上哲治。投手としては通算11勝9敗、のち一塁手としてプロ野球で初めて通算2000安打を突破した“打撃の神様”だ。そのV9時代で、四番の
長嶋茂雄をして「私の野球人生の中で最も印象に残る1年」と言わしめたのが1971年。このときの巨人のベストオーダーに、“二刀流”の選手を入れていくと、以下のようなラインアップとなる。
1(中)
呉昌征(巨人ほか)
2(遊)
石井琢朗(横浜ほか)
3(一)
西沢道夫(
中日ほか)
4(三)
藤村富美男(
阪神)
5(左)
山田伝(阪急)
6(右)大谷翔平(
日本ハム)
7(二)
苅田久徳(近鉄ほか)
8(捕)
服部受弘(中日)
9(投)
景浦将(阪神)
実際のベストオーダーは?
今回は“伝説度”も考慮して、プロ野球“元年”から活躍する景浦将を先発のマウンドに。最多勝に最優秀防御率、首位打者に打点王と投打のタイトルホルダーでもある。もちろんリリーバーは盤石だ。捕手は背番号10が中日の永久欠番になっている服部受弘にしたが、中日で初の日本一に導いた司令塔の
野口明も控える。その弟の元祖“鉄腕”
野口二郎も投手と外野の“二刀流”だった。
一塁も中日から通算60勝、212本塁打の西沢道夫。一塁手では1リーグ時代に一塁守備で異彩を放った
中河美芳(イーグルス)もいる。二遊間は投手としての活躍は控えめだが、二塁には堅守の苅田久徳、遊撃には投手として1勝のみだが、のち打者として通算2000安打を突破した石井琢朗が入った。三塁は“ミスター・タイガース”、通算34勝、224本塁打の藤村富美男だ。
外野は中堅に通算15勝、381盗塁の“人間機関車”呉昌征でリードオフマン。トリッキーな捕球でも人気だった山田伝は外野すべてのポジションで過去のベストオーダーに並んだことがあり、ここでは左翼に。右翼の大谷は永淵、通算35勝に1137安打の
関根潤三がバックアップ。中河、呉、山田、関根、そして永淵は左腕でもあり、左右のバランスも実際の投手陣のようだ。
もちろん71年の巨人も
王貞治、長嶋らの“ON”砲を筆頭に強力だ。偶然ながら、西沢と藤村の三、四番は現実のクリーンアップのような迫力があり、この両チームの対決には夢が膨らむ。では、続きはファンの皆様の夢の中で。ちなみに71年の巨人で一番にいる
柴田勲も当初は投手で、6試合に登板している。
(巨人1971年のベストオーダー)
1(中)柴田勲
2(遊)
黒江透修 3(一)王貞治
4(三)長嶋茂雄
5(左)
高田繁 6(右)
末次民夫 7(二)
土井正三 8(捕)森昌彦
9(投)
高橋一三 文=犬企画マンホール 写真=Getty Images