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【高校野球】古豪復活へインパクト十分の春を過ごした横浜商高 “Y校の世界”をつくり上げた『青い稲妻』

 

松本匡史のヒッティングマーチ


横浜商高の主将・畔上は7回裏に2点目となる適時打を右前に放った。初球のストレートを狙い打ちだった


 Y校には「魔曲」がある。

『青い稲妻』だ。

「走れ、走れ! 二塁ベースへ! 光より速く、青い稲妻」

 妙な懐かしさがあった。他校では聞くことができない、昭和の香りがする。俊足巧打の巨人松本匡史氏のヒッテッィングテーマで、1980年代のプロ野球応援の象徴だった。「Y校」と親しまれる横浜商高は、ほぼ同じ時代に全国舞台で黄金期を築いてきた。1979年夏に4強、82年春に4強。1983年春、夏は準優勝、89年春も4強。「ワイワイ野球」に、マリンブルーのユニフォームが甲子園で躍動した。

 夏の甲子園出場は1990年夏(8強)を最後に遠ざかっている(春は97年春が最後)が、当時の三番・右翼手が稲妻征省氏だった。当時の応援歌は『青い稲妻』。稲妻氏の息子・大成主将もY校でプレーし、2018年夏には親子二代で、同テーマがスタジアムに流れた。現在も横浜商高の名物応援歌である。

 コロナ禍で声出し応援ができなかったが、今春の県大会から解禁。東海大相模高との4回戦(4月22日)では、吹奏楽応援が繰り広げられた。しかし、試合は6回を終えて0対7。横浜商高の7回表の攻撃が無得点に終われば、大会規定によりコールドゲームが成立してしまう。先頭打者に代打・田口廉(3年)が入ると、本人のリクエストによる『青い稲妻』が流れた。さすが、伝統校・Y校。世代を超えて、三塁側スタンドは大盛り上がりである。

 田口は空振り三振に倒れたが、追い詰められたムードはない。むしろ、一気呵成となった。

「束になって戦う」。横浜商高の合言葉だ。

 ベンチも誰一人として、あきらめていなかった。ここから4安打、2四球と打線がつながり、3点を返した。コールドを阻止すると、8回表にも1点加えた。4対8で敗退したが、終盤はY校が主導権を握っていた。ベンチ入り25人中21人を起用する総力戦。7回表に適時打を放った主将・畔上幸(3年)は言う。

「スタンド、ベンチを含めて、全員が打たせてくれました。Y校は歴史のある学校。ユニフォームにも、重みを感じます。夏は相模にリベンジして、甲子園に行きます!!」

 今春の県大会は横浜栄高との初戦(2回戦)では、0対8からの大逆転勝利(12対9)。白山高との3回戦も2点を追う9回表に逆転した(9対8)。4回戦で惜敗も、持ち味の粘りを存分に見せつけた。1990年以来、33年ぶりの古豪復活へ、インパクト十分の春を過ごした。反撃の口火となった『青い稲妻』は、今夏もY校の世界をつくり上げていくはずだ。

文=岡本朋祐 写真=大賀章好
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