新庄が敬遠球をサヨナラ打にした99年に
1985年、四番として40本塁打を放った掛布
この2023年もプロ野球のペナントレースが開幕して、それなりの時間が経った気がする。ただ、昭和の昔は4月の下旬といえば、まだまだ開幕したばかり、首位と最下位のチームが3連戦で激突して最下位のチームが3連勝でもすれば簡単に首位が奪還できるくらいの時期だったのだ。そんな開幕して早々のタイミングで、首位に立つどころか、ファンにリーグ優勝を確信させた試合があった。1985年4月17日、甲子園球場で行われた
阪神と
巨人の一戦だ。
これは阪神にとっては開幕4戦目。7回裏、阪神の攻撃で、それまで15打数2安打6三振と不振に苦しんでいた三番の
ランディ・バースがバックスクリーンへ逆転の3ランを叩き込むと、四番の
掛布雅之、五番の
岡田彰布も続いてバックスクリーン方向へ本塁打。もはや伝説といっていい“バックスクリーン3連発”だ。その後のセ・リーグは猛虎カラー1色に塗りつぶされた、といっても過言ではあるまい。ファンの勢いに押されるかのように阪神は21年ぶりリーグ優勝、そして日本シリーズでは黄金時代の
西武を破って日本一に。だが、これが20世紀で最後の輝きとなってしまった。
時は流れ、時代は平成となり、ふたたび大いに期待されたのが1999年、
ヤクルトで一時代を築いた
野村克也監督が就任したシーズンだったかもしれない。現在は
日本ハム監督の
新庄剛志が投手との二刀流に挑戦するなど話題も豊富。新庄がバックスクリーン3連発を食らった巨人の槙原博己が投じた敬遠球をサヨナラ打にしたシーズンでもある。最終的には2年連続で最下位に終わった99年だったが、もし打線にバース、掛布、岡田の3連発3人がいたら、どうなっていただろうか。
今回は、この3人の打順と守備位置を99年のベストオーダーにスライド。守備位置が重なる選手を自動的に外し、三番から五番までに他の守備位置を守る選手がいたら、打順を繰り上げ、または繰り下げてみる。すると、以下のようなラインアップとなった。
1(右)
坪井智哉 2(遊)
今岡誠 3(一)バース
4(三)掛布雅之
5(二)岡田彰布
6(中)新庄剛志
7(左)
桧山進次郎 8(捕)
矢野輝弘 9(投)
福原忍 実際のベストオーダーは?
1999年は打率.255、14本塁打に終わった新庄
85年のバースは一塁、掛布は三塁、岡田は二塁を守っていた。この3人に弾き出される形となったのは、一塁手の
マーク・ジョンソン、二塁手の
和田豊、三塁手の
マイク・ブロワーズ。遊撃手の今岡誠だけを残して、内野の顔ぶれがグッと変わった。一方、ジョンソンとブロワーズは打順でもクリーンアップを打っており、2人で30本塁打に終わった助っ人2人が54本塁打のバース、40本塁打の掛布に変わるだけでも、かなり打線は強力になる。
打順が変わったのは三番にいた今岡だけで、和田のいた二番に繰り上がった。奇しくも和田は85年に入団した職人肌で、99年も規定打席には届かなかったものの打率.302と安定しており、控えに回すには惜しい存在ではある。とはいえ85年の岡田は35本塁打、101打点、リーグ2位の打率.342とキャリアハイ。敬遠球をサヨナラ打にしたときは四番に入っていたが、ベストオーダーでは六番に並んでいるのが新庄で、2年目の坪井智哉と3年目の今岡から、バース、掛布、岡田と続いて、何が起きるか分からない新庄に、のちに“代打の神様”となる勝負強い桧山進次郎、99年に初めて規定打席に到達して打率.304と安定していた矢野輝弘と打線に穴はない。
岡田は84年に右翼、坪井は日本ハムで左翼でベストオーダーに並んでいたこともあり、あえて桧山を代打に回す戦略もあるだろう。これで首位の
中日との26ゲーム差を覆せるか……。では、続きはファンの皆様の夢の中で。
(阪神1999年のベストオーダー)
1(右)坪井智哉
2(二)和田豊
3(遊)今岡誠
4(三)ブロワーズ
5(一)ジョンソン
6(中)新庄剛志
7(左)桧山進次郎
8(捕)矢野輝弘
9(投)福原忍
文=犬企画マンホール 写真=BBM