元南海-大洋の佐藤道郎氏の書籍『酔いどれの鉄腕』がベースボール・マガジン社から発売された。 南海時代は大阪球場を沸かせたクローザーにして、引退後は多くの選手を育て上げた名投手コーチが、恩師・野村克也監督、稲尾和久監督との秘話、現役時代に仲が良かった江本孟紀、門田博光、コーチ時代の落合博満、村田兆治ら、仲間たちと過ごした山あり谷ありのプロ野球人生を語り尽くす一冊だ。 これは不定期で、その内容の一部を掲載していく連載である。 もっといい店で飲んでいるように描いてもらいなさい
『酔いどれの鉄腕』表紙
本の内容をちょい出ししている連載。
今回は亡くなった漫画家・水島新司さんとの思い出。漫画『あぶさん』ではミチさんも主要人物だった。
遠征で東京に行くと、先生がホテルで待っていて、「みっちゃん、飲みに行こうよ」って誘われることがよくあった。いつも門田博光と
片平晋作、
桜井輝秀を一緒に連れて行ったけど、先生は金持ちだから、俺たちは甘えてブランデーばっかり頼んでた。でもね、実は先生は酒を飲めなかったんだ。店に見たことないくらいでかい入れもんに入った(粉コーヒーの)ネスカフェがキープしてあって、そればっかり飲んでた。
選手をやめて評論家になってからも付き合いがあった。先生が東京の野村克也さんの家で麻雀をやるとき、人数が足りないからと呼ばれたりね。先生の草野球の試合を見に行ったこともあったな。先生はピッチャーをやっていて「これから3連投だ!」と言ってた。元気な人だったね。
あぶさんの話に戻るけど、一時期、俺は準主人公みたいにいつも出ていたんだ。あぶさんの1個下の後輩になっていたから「ミチ」って言って、あぶさんがかわいがってくれた。ただ、俺の出番は飲んでるシーンばっかり。
おやじとおふくろも読んでたみたいで、おふくろから電話があって「先生に言って、もっといい店で飲んでるところを描いてもらいなさい」と言われたこともある。
屋台とか赤ちょうちんで飲んでるシーンが圧倒的に多かったからね。先生には「みっちゃんは、こういう店のほうが似合っている」って言われちゃったけど。
今も店に1冊だけ『あぶさん』の単行本を置いているけど、その中に『指定席』という回がある。大洋に行って引退し、解説者になったころの話さ。あぶさんが、当時のヨメと一緒にやっていた飲み屋に来てくれて、俺のためにカラオケで『マイウェイ』を歌ってくれるんだ。あぶさんは、店の隅に使い込んだ鉄アレイが隠すように置いてあるのを見つけ、俺がまだ現役続行をあきらめていないことが分かったという話だった。
最後のページで「ミチ、お前の指定席のマウンドで待ってるぞ」という言葉が無人のマウンドの絵の上に書いてある。
あれは、あぶさんの言葉だけど、先生の言葉でもある。本当は肩が痛くて、復帰なんてとても考えられなかったけど、読んで涙が出そうになった。