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【大学野球】33季ぶりのリーグ制覇を決めた青学大 安藤寧則監督の下、なぜ復活Vを果たせたのか

 

「常勝・青学」の全盛期を肌で知る指揮官


青学大は2006年春以来、33季ぶり13度目の東都大学リーグ制覇。ウイニングボールが中島大輔主将[4年・龍谷大平安高、背番号1]から安藤監督[背番号50]に手渡された


 浮かれてはいけない。あくまでも通過点だ。

 青学大は国学院大2回戦(5月17日)で連勝して勝ち点4とし、東都大学リーグで2006年春以来、33季ぶりのリーグ制覇を決めた。

 母校を2019年春から指揮するのは、安藤寧則監督。46歳の誕生日、就任5年目で、ついに頂点に立った。ただ、目指すべき目標は先にある。言うまでもなく、05年以来の「全日本大学選手権制覇」。ようやく「大学日本一」に挑戦するステージに戻る、という感覚だ。

 安藤監督は大学時代、4年時(1999年)に学生コーチ(一塁コーチ)として全日本大学選手権制覇を経験。青学大は同大会初陣の93年から96、99、05年で16連勝を遂げ、出場した全4大会で優勝していた。06年も準優勝。指揮官は「常勝・青学」の全盛期を肌で知るだけに、常にリーグ優勝、大学日本一を狙えるレベルにいることを「復活」と位置付ける。

神宮の杜を待った安藤監督は、優勝を決めた5月17日が46歳の誕生日だった。青学大のブルーが学生野球の聖地に映えていた


 なぜ、17年ぶりの復活Vへとつなげたのか。安藤監督の人間性に尽きるだろう。

 岡山県出身。進学校・岡山大安寺高では強打の一塁手兼外野手として活躍し、一般入試で青学大に合格した努力家だ。ベンチメンバー入りは難しかったが、裏方として活躍の場があった。1年時から「学生審判員」として東都二部の塁審を担当。青学大は部員が少なく、それまで審判員を派遣できなかったため、安藤監督が「第1号」だった。捕手としてベンチ入りを目指していた3年生の9月、突然、河原井正雄監督に呼ばれた。青山学院高等部(東京)からの依頼により、安藤氏が監督に就任。午前中、大学の練習に参加し、夕方からは高校生を指導。高校と大学の「二刀流」という、多忙のキャンパスライフを過ごした。

 大学卒業後は一般企業に勤めながら、OB審判員を継続する道もあったが、大学職員として採用され、青山学院高等部を指揮。18年夏まで20年、高校野球の現場を率いた。

 日本一4度という青学大の栄光を築いた河原井監督は、東都二部に降格した14年秋限りで勇退。しかし、3年間、二部から抜け出せない現状打破のため18年に復帰したが、一部への壁は高く、1年限りで退任している。そこで、新監督として就任の打診を受けたのが、大学勤務に専念していた安藤監督だった。

自然と人が集まるリーダーシップ


 19年1月に就任。とにかく、学生目線を貫く。「納得できるまで、根気よく話します。説明責任を果たさなければいけない」。合宿所、グラウンドなどの環境整備に動いた。就任2年目の20年秋に一部昇格(コロナ禍のため二部優勝が一部自動昇格)へ導き、昨秋は優勝争いを展開し、ついに今春、扉をこじ開けた。

 チーム強化は、有能な人材を入学させること。安藤監督は学生勧誘にも丁寧だった。高校生を勧誘する際には「ご縁」という言葉を使う。「入学すれば、私の後輩になるんです。4年間、一緒に良い時間を過ごしたい」。情熱あふれる方針に惹かれ、有望選手が志望。青学大のスポーツ推薦入試の合格者は8〜9人と少数精鋭だ。安藤監督は時間を見つけては全国各地へと足を運び、大学の良さと愛着、指導スタイルを伝える。あくまでも、最終決定は高校生の判断に委ねる。つまり「相思相愛」の学生たちが、青学大の門をたたいてくる。

 表と裏がなく、自然と人が集まってくるリーダーシップ。19年4月に就任した中野真博コーチ(元東芝投手コーチ)は、1学年後輩にあたる安藤監督のために尽力した。野球部OBのほか、大学を挙げての応援態勢も整っている。誰よりも青学大を愛する安藤監督は、確かな足跡を築いた。しかし、本当の「復活」は18年ぶりの大学日本一のタイトルを手にしたときである。

文=岡本朋祐 写真=田中慎一郎
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