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【大学野球】早慶戦歴代最多得点差「14」で敗退の早大 34年前の記憶がオーバーラップした小宮山悟監督

 

「大変、申し訳ない」


1対15。早大は慶大2回戦で、早慶戦における歴代最多得点差で敗退した


 早大は7回を終えて、慶大2回戦(5月28日)で1対15と大量リードを許していた。ネット裏でスコアブックにペンを走らせた早大OB・後藤讓さん(83歳)に聞いた。「60年以上、見ていますが、これだけの大差はないですよ」。早大3年生だった当時、1960年秋の伝説の名勝負「早慶6連戦」を、神宮でスコアを付けていた生き証人の記憶は正しかった。

 14点差は早慶戦史上、歴代最多得点差。1987年春の3回戦で、慶大が13対1で早大に勝利、47年秋の1回戦で慶大が17対5で勝利した「12点差」がこれまでの最多だった。27日の1回戦は早大が先勝(5対3)しており、対戦成績は1勝1敗のタイとなった。

 1987年春、V争いは慶大と法大に絞られていた。慶大が第6週で開幕から無傷の勝ち点4(8勝1敗1分)とした。第7週で勝ち点3の法大が明大2回戦で敗退した時点で、慶大の3季ぶりの優勝が決定。最終週、慶大は1勝1敗の3回戦で3年生左腕・志村亮が1失点完投で勝ち点5の完全優勝に花を添えた。打線は早大の5投手から23安打で13得点を挙げた。なお、当時2年生・小宮山悟投手は3番手で、1回1/3を唯一の無失点に抑えている。

 それから36年後の屈辱の敗戦に試合後、早大・小宮山監督は2万3000人が詰めかけた観衆に対して「大変、申し訳ない」と語った。5投手が12四球と「ストライクが入らない投手ほど、相手に失礼なことはない。不甲斐ない投球のピッチングスタッフが、目の色を変えて取り組むか楽しみです」と学生の奮起に期待した。小宮山監督はこの日の黒星を受けて、34年前の早慶戦を思い出した。

 1989年春。法大が最終週の早慶戦を残して、リーグ4連覇を決めていた。早大は1回戦を逆転で先勝(6対2)。主将でエースの小宮山は同期生の先発・大沢明を4回途中からリリーフして、好救援で白星を挙げていた。

 連勝での勝ち点をかけた2回戦は劣勢の展開となった。7回途中で2対8の早大ビハインド。15安打を浴びていた3投手を受け、一塁ベンチの石井連藏監督は動いた。4番手に主将・小宮山を起用。指示は、これだけだった。

「お客さんの失礼のないようにしろ!」

 背番号10を着けた第79代主将は必死に腕を振り、慶大の追加点を許さなかった。早大投手陣の代表として責任を取ったのである。1勝1敗で迎えた翌日の3回戦、先発した小宮山は3連投の疲れも見せず、1失点完投勝利(5対1)を挙げた。勝ち点を法大と同じ4に伸ばして、全日程を終えている。エースとしての責務を果たしたわけだ。

「怒りを通り越している」


早大・小宮山監督は試合中、厳しい表情で戦況を見つめていた


 34年前の記憶がオーバーラップした。小宮山監督は「加藤をベンチに入れておけば良かった」と漏らした。加藤孝太郎(4年・下妻一高)は今春から早大のエース番号11を着ける大黒柱。今季自己最多の3勝を挙げているが、リーグ終盤になって、疲労の色が濃かった。先勝した1回戦では6回2失点(勝敗つかず)。3回戦を見据えた2回戦は体調を整えることを最優先にする小宮山監督の配慮により、登録メンバー25人から外れた。

「今と野球は違う。(仮にこの2回戦で加藤を起用していれば、周りから)ただ『バカじゃないか』と言われる。欲を言えば、それでも『大丈夫』という投手でないといけない」

 投手陣全体には、厳しい注文を出した。

「怒りを通り越している。何がどうしたらああいうことになるのか、見当がつかない。練習不足ということ。緊迫感の中でも、自分の体を動かさないといけない。鍛錬を怠っている。普段から緊張感を持って練習していればやれるはず。できなくて残念です」

 小宮山監督が唯一の収穫として語ったのは5番手で神宮初登板となった1年生右腕・越井颯一郎(木更津総合高)だ。ボールにばらつきはあったものの「堂々としていた」と、打者に向かっていく姿勢を評価した。四球で逃げては話にならない、というメッセージだ。

 春のシーズン、取り返すチャンスはまだ残されている。3回戦で加藤がエースの背中を見せるか。勝てば勝ち点3の3位、負ければ4位。秋への試金石となる大事な一戦である。

文=岡本朋祐 写真=矢野寿明
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