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酔いどれの鉄腕

「パ・リーグなのにON並みに大騒ぎになっていたのが、新人の太田幸司。甘いマスクのいい男だった」/佐藤道郎『酔いどれの鉄腕』

 

 元南海-大洋の佐藤道郎氏の書籍『酔いどれの鉄腕』がベースボール・マガジン社から発売された。

 南海時代は大阪球場を沸かせたクローザーにして、引退後は多くの選手を育て上げた名投手コーチが、恩師・野村克也監督、稲尾和久監督との秘話、現役時代に仲が良かった江本孟紀門田博光、コーチ時代の落合博満村田兆治ら、仲間たちと過ごした山あり谷ありのプロ野球人生を語り尽くす一冊だ。

 これは不定期で、その内容の一部を掲載していく連載である。

甘いマスクのいい男


『酔いどれの鉄腕』表紙


 本の内容をちょい出ししている連載。今回は近鉄の太田幸司さんとの逸話だ。同じ年の入団選手である。

 1年目に出場したオールスターで、パ・リーグなのにON並みに大騒ぎになっていたのが、新人の太田幸司(近鉄)。甘いマスクのいい男だった。

 前年夏に三沢高校(青森)で甲子園に出て、決勝で延長18回再試合をした人気者だよ。あのときは、たぶん1勝くらいしかしてないのにファン投票で選ばれたんだ。若い女の子が黄色い声援を送ってたな。にぎやかさだけなら、ONよりすごかったかもしれんね。

 俺はあいつと少し縁があったんだ。三沢の部長さんが日大出身だったんで、頼まれて学生コーチとして三沢に行ったことがある。夜行列車に乗ってね。

 ボランティアじゃなく、ちゃんと日当ももらえたんで、いいバイトになったよ。向こうからは「エースを見てやってください」と言われ、太田はもう甲子園にも出ていて人気者だったから、「ああ、太田を鍛えればいいんだな」と思っていた。

 でも最初、太田は疲れがたまっているからと投球をせず、じゃあ、ノックでもしようかと言ったら、それも足が痛いからできません、と。カーッと頭に血が昇って、「そんなんじゃ甲子園なんか行けんぞ!」と怒鳴ったんだ。そしたらすぐ部長さん、監督さんに校長室に連れて行かれ、みんなから「太田は三沢のヒーローなんです! 手心をお願いします」と言われたけど、こっちもカッカしてるから「じゃあ、俺はいらんと思うんで帰ります」と言ったんだ。

「そんなこと言わずに」と言われたから「だったら、やりたいようにやりますよ」と太田には200球くらいノックをしたりガンガン鍛えた。

 こう話すと、おっかねえコーチだったように思うかもしれないけど、俺の性格だから冗談もよく言ったし、短い期間だったけど、三沢の選手の表情も変わっていった。最終日はみんなで校歌を歌って送ってくれたよ。

 あのとき日大のユニフォームを着るわけにもいかないから、ミズノの練習着を買ってやっていたけど、最後、それを太田にあげた。ツギハギの練習着を着ていたからね。

 そしたら、プロ入り後、太田がテレビ番組で宝物を聞かれ、「南海にいらっしゃる佐藤さんからもらった練習着です」と答えていた。こっちもうれしくなったよ。
週刊ベースボール編集部

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