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ホークス球団創設85周年

絶対に負けられない戦い――2014年 勝てば3年ぶりVの10.2決戦/ホークス球団創設85周年【第5回】

 

2023年、ホークスは球団創設85周年とドーム開業30周年のダブルアニバーサリーイヤーを迎えた。ここでは「あの時のホークス、あの時のドーム」を振り返り、過去から未来へと受け継がれるホークスの歴史を紹介し、未来につながる野球の魅力を発信していく。第5回は2014年ヤフオクドームでの10.2最終戦、勝てば優勝、負ければオリックスがマジック1とし優勝はオリックスの残り試合に委ねられる絶対に負けられない大一番を振り返る。

野球の面白さが凝縮され球史に刻まれる1試合となった


涙の胴上げとなった秋山幸二監督


 2014年10月2日。ソフトバンクの144試合目、レギュラーシーズンの最終戦は本拠地・福岡ヤフオクドーム(当時)でのオリックス戦だった。本拠地でのシーズンラストゲームともなれば、次なるポストシーズンへの戦いへ向け、若手や故障上がりのベテランたちの状態を最終チェックする場であり、さらには来季をにらんでの戦力を試すという狙いも含め、まさしく先を見据えての、貴重な実戦テストの場になるケースが多い。また、通常シーズンを通して応援してくれたファンへの感謝を示すセレモニーも行われるのが常だ。

 ところが、この日は違った。というよりは、それどころではなかったというのがふさわしいのかもしれない。リーグ優勝がまだ決まっていなかったのだ。ソフトバンクは、このラストゲームに勝てば3年ぶりのリーグ制覇が決まる。一方、相手のオリックスがこの試合に勝てば、優勝へのマジックが「1」となり、残り2試合を仙台へと場所を移し楽天との2連戦に挑むことになる。サッカー日本代表の戦いで、お馴染みのフレーズを借りれば、それこそ、互いに「絶対に負けられない戦い」だった。

 スタメンを振り返ってみる。
 【ソフトバンク】    【オリックス】
 1番 中堅 柳田悠岐  1番 三塁 エステバン・ヘルマン
 2番 遊撃 今宮健太  2番 遊撃 安達了一
 3番 左翼 内川聖一  3番 右翼 糸井嘉男
 4番 DH 李大浩   4番 DH ウィリー・モー・ペーニャ
 5番 三塁 松田宣浩  5番 左翼 竹原直隆
 6番 右翼 中村晃   6番 一塁 T-岡田
 7番 一塁 吉村裕基  7番 中堅 川端崇義
 8番 捕手 細川亨   8番 二塁 縞田拓弥
 9番 二塁 明石健志  9番 捕手 山崎勝己

 ソフトバンクの先発投手は、その前年に国指定の難病の黄色靭帯骨化症の手術を受けながら2014年7月に1軍復帰、同27日のオリックス戦で422日ぶりの勝利を飾るなど完全復活を果たしていた左腕・大隣憲司だった。この難病からの復帰で1軍勝利を挙げたのは大隣が初のケースで、ちなみに2023年にはDeNA三嶋一輝中日福敬登も黄色靭帯骨化症の手術を経てともに1軍での復活勝利を挙げている。

 大隣は2014年、完封を含めて3勝をマーク、シーズン最終盤には完全に「エース」としての働きを見せていた。この大一番に、大隣のピッチングが冴えわたる。1回は三者凡退。2回には2本のヒットで2死一、三塁と先制機を作られ、ここで迎えたオリックスの8番縞田拓弥に7球を粘られながら、最後は125キロのスライダーで空振り三振。ピンチを脱すると、その裏ソフトバンクは1死から中村左前打、吉村右翼線二塁打の連続ヒットで二、三塁とし、8番の細川が中犠飛。まずは、ソフトバンクが1点を先制した。

 この1点を背に、大隣は6回まで4安打無失点。オリックスに本塁を踏ませない好投を見せると、一方のオリックスも小刻みなリレーでソフトバンクの追加点を阻止していた。先発のブランドン・ディクソンは、オリックスで9年間プレーし49勝34セーブをマーク、2021年東京五輪の米国代表にも選出された1メートル95の長身右腕で2014年も9勝を挙げている。そのディクソンも5回途中まで2回の1失点と踏ん張りを見せていた。5回2死一、二塁にピンチを招くと2番手で岸田護がマウンドへ。岸田は内川を一ゴロに打ち取って追加点を阻むと6回もソフトバンク打線を三者凡退に退けた。

 オリックスに豊富なリリーフ陣を惜しみなくつぎ込んでこられては、そう簡単に追加点は奪えない。だからこそソフトバンクは先に動いた。まずは“虎の子の1点”を守りながら優位な形で終盤に入り何とかして2点目を取るしかない。

 7回秋山監督が動いた。大隣に代え2番手としてルーキー森唯斗をマウンドへ送り出した。森は新人ながらこれが58試合の登板。2018年にはパの最多セーブ投手に輝くなど、後にソフトバンクの守護神へと成長することになる右腕は、プロ1年目からそのタフネスさと度胸満点のピッチングスタイルがすでに信頼度を高めており、この重要な局面でも秋山監督は迷わず森を指名したのだ。

 ところが、森がオリックス打線につかまってしまう。先頭の代打坂口智隆が左前打で出塁、T-岡田は中飛で1死一塁となったが、ここでオリックス森脇浩司監督は、7番・川端崇義に送りバントを命じ2死覚悟で得点圏へ走者を送った。この2死二塁で森脇監督はさらに勝負手を打つ。8番・縞田に代打原拓也を送ると、30歳の左打者は右前タイムリーを放って同点。試合は振り出しに戻った。

 緊迫度が、増していく。ソフトバンクは8回から五十嵐亮太をマウンドへ送った。その前年メジャーから4年ぶりに日本球界へ復帰していた35歳のベテラン右腕は、これが63試合目の登板だった。経験十分のリリーバーは2死一、二塁のピンチを招くも4番のウィリー・モー・ペーニャを151キロの力勝負で遊ゴロに打ち取ってきっちりと無失点に切り抜けた。

オリックスも7回から馬原孝浩を投入。1死二塁のピンチになると、その前年を含め2年連続で最優秀中継ぎ賞のタイトルを獲得したセットアッパー・佐藤達也を投入して後続を断つ。さらに佐藤達はイニングをまたいでの8回にもマウンドに立ち、ソフトバンク打線に得点を許さない。どちらも、一歩も譲らない。

勝負は延長戦に


延長10回表、イニングまたぎでマウンドに上がったサファテは二死満塁のピンチを切り抜けガッツポーズ


 1-1の同点のまま9回はソフトバンクがデニス・サファテ、オリックスは平野佳寿と、ともにストッパーを投入しともに三者凡退。このまま延長戦へと突入した。

 ドーム内の空気がびりびりしてくる。サファテはイニングまたぎとなる10回にもマウンドに姿を見せた。先頭の原四球、伊藤光の投前犠打で1死二塁となり、1番のエステバン・ヘルマンは154キロの剛球で空振り三振に仕留めるも、続く安達了一に中前打、糸井嘉男には右肘へ死球と2死満塁の大ピンチを招いた。

 ここで、ちょっぴり、野球の神様がいたずらをする。4番ペーニャは初球から打って出た。高く舞い上がった打球は三塁スタンド方向へと切れていくように見えた。ところが、ここで思わぬ事態が起こる。「ゴン」福岡ヤフオクドームの天井、その鉄骨部分にペーニャの飛球が直撃したのだ。すると三塁スタンド方向へ向かっていた打球の方向が変わり、そのまま真っすぐ、ファウルゾーンの方へと落下してきたのだ。ショートの今宮がその不規則な打球の行方を巧みに追いかけ、三塁側のファウルゾーンでキャッチした。球場別の特別ルールで、フェア地域上の天井、または懸垂物に当たった場合は「ボールインプレ―」で、ファウル地域ならば「ボールデッド」。ペーニャの打球はフェアゾーンの上方で天井に当たり、ファウルゾーンへ落ちたという判断となりファウルフライでのアウトとなった。

 ファウルだろうと思われた当たりが一転アウトになった。オリックスにとっては満塁のチャンスを逸する何とも不運な一打となった。ペーニャは天井をしばらく見つめた後、首をひねりながら三塁側ベンチに戻っていった。

 この一打が、勝負を分けることになった。10回オリックスは平野に代え6番手としてアレッサンドロ・マエストリを投入。先発、ロングリリーフとあらゆる場面で重宝されてきたイタリア人右腕だ。しかし、マエストリの制球が定まらない。1番・柳田をカウント1ボール2ストライクと追い込みながら、そこから3球連続ボールで四球。今宮が投前への送りバントで1死二塁。これでサヨナラ機をおぜん立てすると、オリックスは続く内川を敬遠四球。塁を詰めて一、二塁とし、ここで迎えるのは4番・李大浩。一発長打の恐れもあるが内野ゴロを打たせれば、李のスピードを考えればゲッツーが取れる。腹をくくった作戦だ。しかし、マエストリはここでストライクが入らない。4球連続のボールでストレートの四球を出してしまう。1死満塁となった。

松田が決めた


延長10回裏に優勝を決めるV打を放った松田


 三塁走者の柳田が本塁を踏めば、試合は終わる。そして、ソフトバンクの2年連続優勝が決まる。栄光はもう目の前だ。打席にはお祭り男、ムードメーカーの松田宣浩。こんな場面では、最も力を発揮する勝負強さがある。

 オリックスは、サイドハンドの比嘉幹貴に代えた。外角へのスライダー、内角へ落ちるシンカー。その左右への揺さぶりで何とかしてゴロを打たせる。できれば三振を取りたい。のるか、そるか。まさしく、チームの運命をかけた戦いだ。ボール、ファウル、ファウルと来ての4球目だった。131キロのスライダーを松田が引っ張った。左中間をその打球が破っていく。

 ソフトバンクの選手たちが、一塁ベンチから松田を目がけて突っ走っていく。歓喜の輪ができたその横でオリックスの選手たちが呆然と立ち尽くしていた。ファーストのT-岡田は一塁ベース付近でうつむいたままだった。ショートの安達も、外野からの返球を受ける中継ポイントで、左中間フェンスの方向を見つめたまま動きが止まった。捕手の伊藤はホームベースに突っ伏して泣きじゃくった。

 勝者と敗者、あまりにも非情なコントラストだった。そして普段は決して喜怒哀楽の感情を表には見せない秋山監督が泣いていた。“優勝決定サヨナラ打”を放った松田と抱き合い、その端正なマスクを崩して男泣きした。

「幸せです。勝てば優勝という試合は僕も一度も味わったことがなかった。この勝利はファンとともに、選手、球団、そして会社の人たち、みんなが一緒になって掴んだ勝利です」

 そう声を振り絞った秋山監督は、日本シリーズを制した後、家庭の事情でその年限りでユニフォームを脱ぐことになった。レギュラーシーズン最終戦V、そして日本一。6年間にわたる監督生活のかっこよすぎるフィナーレだった。

文=喜瀬雅則 写真=福岡ソフトバンクホークス、BBM
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