週刊ベースボールONLINE

高校野球リポート

【高校野球】小倉前監督に「恩返し」を果たした日大三・三木監督とナイン 最終目標はまだ先に

 

「オヤジ」がいなくなって


日大三高は西東京大会を制して2年連続の甲子園出場。試合後、小倉前監督[左]は三木監督[右]を祝福した[写真=矢野寿明]


 親と過ごした時間よりも長い。

 偽りのない事実である。

 今年4月に就任した日大三高・三木有造監督(前部長)は、3月末に定年退職により退任した小倉全由前監督と26年、タッグを組んできた。三木監督は今年5月で49歳になった。

 日大三高は町田市内の学校に、グラウンド、寮、室内練習場の3点セットと恵まれた環境にある。野球部員が生活する三志寮に、小倉前監督と三木監督は生活していた。26年に及ぶ「24時間指導」であるから、人生の半分以上をともに歩んできたことになる。三木監督は和歌山県出身。中学から東京の日大三中に進学し、冒頭のように親と過ごした時間よりも長く、同じ釜の飯を食べてきたことになる(日大三高、東洋大を経て、小倉前監督が就任する1997年4月に母校・日大三高に奉職)。

 日大三高はファミリー的なムードが伝統としてある。生徒たちは小倉前監督を「父」、三木監督を「兄貴分」として慕ってきた。二人は野球部員を、実の子どものように、愛情を注いできた。大家族。どこにも負けない一体感が、チームカラーとして浸透している。

 小倉前監督から見ても、三木監督は「一家の主」をサポートする立場であった。

 ところが、当たり前のようにいた「オヤジ」がいなくなった。今度は自らが「父」として、けん引する側となった。

 5月末に日大三高グラウンドへ足を運んだが、雰囲気は何一つ、変わっていなかった。選手たちの澄んだ目。爽やかなあいさつ。前向きな声。厳しいメニューの中にも、明るさを忘れない。仲間たちを鼓舞する的確な指示。落ち着いた学校・寮生活。周囲が「応援したくなる野球部」が、日大三高の真骨頂である。かつて、小倉前監督はこう言っていた。

「寮生活でのルールを守り、人としての基本ができないと、(試合で)踏ん張ることはできない。我慢することはできない。選手たちが一生懸命やっていれば、私たち指導者も力を抜くことはできません。これは、実際にやった者にしか分からないと思います」

 小倉前監督は在任時に生徒から「監督さん」、三木監督は「三木さん」と呼ばれていた。4月1日、新体制となると、部員たちは三木新監督を「監督さん」と呼んだ。しかし、三木監督は「違和感がある」と、1日持たずに「三木さん」に戻った。白窪秀史助監督、そして、新たに就任した中島健人部長もかつて主将を務めた「小倉ファミリー」の一員だ。新指導陣もより一層、生徒と真正面から向き合った。三木監督は交代で寮監を担当。自宅に戻る際も、早朝の点呼には必ず、顔を出している。

 日大三高は「勝者としての条件」を日々蓄え、夏本番を迎えていた。あとは、持っている力を、試合で出し切るだけであった。

2011年以来の全国制覇へ


三木監督は優勝インタビューで小倉前監督について問われると、感情を抑えきれなくなった[写真=矢野寿明]


 2023年夏。日大三高は西東京大会を2年連続で制した。第1シードの貫録を見せた。神宮の杜に響きわたる優勝インタビュー。三木監督は淡々と決勝と、この夏を振り返った。しかし、小倉前監督の話を振られると、突然、声を詰まらせた。「オヤジ」への思い、自身が背ってきた重圧に、感情を抑えきれなくなってしまったのだ。ある意味、当然である。

「監督さんへの恩返しと、三木さんを甲子園に連れていく」。これが、選手たちの今夏の合言葉だった。

 日大三高は昨年11月12日、東京大会準決勝(対東海大菅生高)に敗退した。事実上、センバツ出場を逃した一戦である(補欠校)。小倉前監督は自身の中では、すでに退任を決めており、結果的にこの試合が最後のさい配となった。選手たちに正式に表明したのは、今年2月。三木監督には水面下で相談をしていたが、あくまでも2人だけの話。表に出ることはなかった。三木監督は「まだやってくださいよ」と説得したが、体力的な問題もあり、小倉前監督の意思が変わることはなかった。

日大三高のエース右腕・安田[右]は小倉前監督に「甲子園出場」を報告。ようやく「恩返し」ができ、達成感から大粒の涙を流した[写真=矢野寿明]


 昨秋の東海大菅生高戦での敗戦を受け、多くの選手が号泣した。晩秋の神宮球場はまるで、最後の夏のような光景が広がっていた。そのうちの一人、右腕エース・安田虎汰郎(3年)は「監督さんに、成長した姿を見せる」と、この夏のために、練習を重ねてきた。涙から約8カ月後、安田は日大鶴ケ丘高との決勝で1失点完投勝利(3対1)。同じ神宮で雪辱を果たした。この日、小倉前監督は観戦。安田は試合後、「甲子園」を報告すると涙を流し、小倉前監督も目を真っ赤にさせていた。

 言葉にこそしないが、三木監督にとっても、小倉前監督に「恩返し」ができた。部員74人の思いも結実したが、最終目標はまだ先にある。昨夏は聖光学院高(福島)との1回戦で敗退。2011年以来の全国制覇を見据えている日大三高の夏は、ようやくスタートラインに立ったに過ぎない。24時間指導。三木監督を中心に、生徒との新たな「絆」を紡いでいく。

文=岡本朋祐
週刊ベースボール編集部

週刊ベースボール編集部

週刊ベースボール編集部が今注目の選手、出来事をお届け

関連情報

みんなのコメント

  • 新着順
  • いいね順

新着 野球コラム

アクセス数ランキング

注目数ランキング