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追悼・古沢憲司さん

辻恭彦「古沢憲司は曲がらないちゃんとした真っすぐが投げられるようになり勝てる投手になりました」/追悼・古沢憲司さん

 

ブルペンでぶつけられたことがあります


阪神時代の古沢憲司さん


 11月発売に向け、ダンプさんこと、元阪神─大洋の辻恭彦さんの書籍制作を進めていた中で、古沢憲司さんの訃報が入って来た。ちょうど前の日、書籍の中の古沢さんの話をチェックしていたので、驚いた。
 以下はダンプさんの独白。

 えっ、古沢が……。

 まだ若いでしょ。最近は連絡もしてなかったけど、家族のみなさんはつらいでしょうね。お悔みを申し上げます。

 あいつは昭和39年(1964年)、新居浜東高校を中退し、16歳で阪神に入って来た選手です。年の割に体もできていて、力のある真っすぐを投げていましたが、球が全部スライダー回転していました。真っすぐも変化球もコントロールが悪く、カーブがよくホームベースの手前でワンバウンドするタイプでした。みんな「スライダー回転しないようにしろ」と言っていたけど、そんな言葉だけじゃね。

 一軍にはいましたが、あまり大事なところで使ってもらえず、もったいないなと思いながら見ていましたが、4、5年目くらいかな。右手首が少し親指側に傾いているのに気が付きました。聞いたら子どものころに手首を骨折したことがあったらしい。だから手首を真っすぐに振れず、自然とスライダーになっていたのです。

 そこからコーチでもないのにアドバイスを始めました。指先に引っかからないように指の腹に乗せたリリースや、踏み出すヒザの使い方を少しずつ教えたことで、腕の振り抜きがスムーズになり、曲がらないちゃんとした真っすぐが投げられるようになりました。スライダー回転の球も武器ですからなくすのはもったいない。これを無意識じゃなく、意識して投げられるようにしました。

 あとはシュートです。踏み込んでくる右打者にはシュートがちょっと曲がるだけですごく有効なんですよ。特に広島のバッターですね。インコースが来るときは、みんなそれを予測して体を開き気味にした。古沢の球はスライダー回転するので、ちょうどいいところに行き、よく打たれましたが、シュートを覚えてからは面白いように詰まらせていました。さらにチェンジアップで緩急ですね。それであいつは勝てるピッチャーになりました。

 そうそう、古沢には甲子園のブルペンで殺されかかったときがあります。ブルペンの投手は、試合を見ながら間隔をあけて投げていますが、捕手はそれはできません。でも、そのときは古沢があまりに熱心に見ているのでつられて見てしまったら、次の瞬間、ボールが目の前に迫っていた。ブルペンでマスクをしている時代じゃなかったので、ガツンと大きな音がして右目に当たった。これは死ぬか、視力がなくなるかと思ったんですが、うまく眼球の周りに当たったらしく、痛いだけで、大丈夫でした。

 すぐ濡れたタオルで冷やしていたら特に問題なくなったので、5回過ぎにはまたボールを受け、そのあと病院に行くこともありませんでした。われながら頑丈です。

 すみません。最後は自分の話になってしまいました。

 昔の知り合い、しかも自分より若い連中が亡くなるのは寂しいものです。みなさん、健康に気をつけて長生きしてください。
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