3チーム目のソフトバンク
マウンドから剛球を投げ込み王者のクローザーに君臨したサファテ
プロ野球にセーブ制度が導入されて半世紀になろうとしている。当時からシーズン試合数が増えたこともあるかもしれないが、20世紀でシーズン40セーブを超えているのは1998年の“大魔神"
佐々木主浩(横浜)で、ほかすべてが21世紀に入ってからのものだ。2022年シーズン終了時点の数字で、トップ10にはタイも含めて15人。その中に3度も名前が登場する助っ人がいる。“キング・オブ・クローザー"、
ソフトバンクのデニス・サファテだ。
来日して最初のチームは
広島で、最初の役割もクローザーだった。1年目から57試合に登板して35セーブ。すでに投手分業制も確固たるものになり、最後の1イニング限定で勝ちゲームを締めるのがクローザーの役割となっていたため、もちろん規定投球回には遠く届いていないが、防御率1.34の安定感を見せている。だが、その後はリリーフながらも起用法が安定せず、
西武を経て14年にソフトバンクへ。この3チーム目でクローザーに固定されたことが“キング"への道となった。
移籍1年目は37セーブでリーグ優勝に貢献、信頼を不動のものにすると、翌15年は41セーブで大台を突破。これが10位タイの数字だ。その翌16年は、チームは王座を
日本ハムに奪われ、日本シリーズ進出も果たせなかったものの、サファテは43セーブで、07年の
岩瀬仁紀(
中日)と並ぶ5位タイの数字。圧巻は迎えた17年だ。66試合、投球回66イニングの登板で54セーブで、05年の岩瀬、07年の
藤川球児(
阪神)に8セーブもの差をつけてのプロ野球トップ。チームも王座に返り咲いている。
さらには日本一の奪還も懸かった
DeNAとの日本シリーズも伝説的だった。3勝2敗で迎えた第6戦(ヤフオクドーム)、1点ビハインドの9回表に登板、その裏に打線が同点に追いつくと、異例のイニングまたぎで延長10回表も続投。異例のマウンドで、そのまま11回表まで投げ抜いて、その11回裏にソフトバンクがサヨナラで日本一に。サファテは勝利投手として日本一に華を添えた。ソフトバンクでの通算180セーブもキャリア通算234セーブも、助っ人ではトップの数字として残る。
写真=BBM