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愛すべき助っ人たち

横浜38年ぶりリーグ優勝、日本一の1998年。「打点を挙げるのが役目」と語った四番のローズ【愛すべき助っ人たち】

 

権藤監督は「打線の顔はローズ」


1999年に撮影されたローズと息子・コーディー君のツーショット


 横浜が38年ぶりのリーグ優勝、日本一に輝いた1998年から、ちょうど四半世紀が経つ。その後、チームはDeNAとなり、クライマックスシリーズを制して日本シリーズに進出したことはあったものの、歓喜は遠い。それだけに98年の熱狂は今もファンの脳裏に鮮明なはずだ。

 絶対的クローザーの“大魔神”佐々木主浩がMVPに輝いたが、その“大魔神”の降臨には打線が点を稼いでリードを維持しなければならない。打って打って打ちまくる“マシンガン打線”も98年の象徴だった。四番を担ったのはロバート・ローズ権藤博監督をして「打線の顔はローズ」と言わしめた好打者だった。ただ、もともとは同じ93年に入団したグレン・ブラッグスの“おまけ”とさえ言われていた。

 まず注目されたのが堅実な二塁守備。助っ人の打者に期待されがちな長打力に欠けていたこともあった。だが、勝負強さと安定感が光り、19本塁打ながら94打点で打点王、リーグ2位の打率.325。「僕は打点を挙げるのが役目なんだ。だから本当は五番が向いていると思う」と語っていたが、故障の多かったブラッグスが96年オフに退団すると、翌97年から不動の四番打者に。1年目のように18本塁打ながら99打点、リーグ2位の打率.328の活躍で、チームも2位に浮上した。

 迎えた98年も19本塁打で96打点、リーグ5位の打率.325。本塁打のような大技、犠打のような小技に頼らず、安打を積み重ねて得点を稼ぎまくる“マシンガン打線”の、まさに「顔」だったと言えるだろう。

 とはいえ個人のキャリアハイは、その翌99年だった。6月に入って「やるだけのことはやった。ゆっくり家族と過ごしたい」と引退を宣言したものの、打棒が爆発する。その6月にはプロ野球で最多となる3度目のサイクル安打を本塁打で決めると、長打にも開眼。最終的には自己最多の37本塁打を放って、153打点、打率.369で打点王、首位打者の打撃2冠に輝いている。

 夫人の希望もあって引退を撤回して2000年いっぱいで退団。打撃3部門では本塁打王のタイトルだけがないが、通算167本塁打、808打点、打率.325はチーム史における外国人“三冠王”になる。

写真=BBM
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