松井裕樹にしか歩けない道を
『侍ジャパン戦士の青春ストーリー 僕たちの高校野球3』
現役プロ野球選手たちの高校時代の軌跡を辿る『僕たちの高校野球』。待望のシリーズ第3弾となる『侍ジャパン戦士の青春ストーリー 僕たちの高校野球3』がベースボール・マガジン社から発売になった。ここでは掲載された7選手の秘蔵エピソードの一部を抜粋し、全7回にわたって紹介していく。第4回は
楽天の
松井裕樹編だ。
クラスでは「普通の生徒の1人」
2011年4月、松井裕樹は桐光学園高に入学。保健体育科の教員でもある野呂雅之監督が副担任を務め、授業も受け持っていた。普段の松井はどんな生徒だったのか。当時をこのように回想する。
「松井の学年は3年間にわたって副担任をしたので、保健体育の授業はもちろんのこと、朝、夕のホームルームの時間も一緒と、彼ら野球部の生徒とは家族よりも長い時間を過ごしました。ただ、甲子園でいくら活躍しても特別扱いされることなく、クラスでは何ら変わらずに過ごしていました。そういうところが、あの学年の良さでしたね」
そして、こう続けた。
「大事なのは、グラウンドで変われるかどうか。今の言葉で言えば、オンとオフの切り替えということになると思いますが、これが実は簡単そうで非常に難しい。松井の学年は本人も周囲もそういうことができていたからこそ、クラスでも「普通の生徒の1人」になれていたのだと思います」
たくさんの言葉をくれた恩師の存在
甲子園のマウンドで躍動する桐光学園高時代の松井裕樹
その後、松井は夢だったプロ野球の世界へと渡り、節目の10年目となった今シーズンは史上9人目となる通算200セーブを達成した。その朗報に「鳥肌が立つ思いがした」というのは野呂監督だ。
「松井が1年生のころ、僕は彼と同じように大きく曲がる変化球を得意としていた
杉内俊哉投手や、古くは
工藤公康投手といったプロの左投手を参考にするといいよ、というアドバイスを送っていました。松井も熱心にビデオを見ながら、部分的にマネをしたりしてフォームを改善していきました。でも高校2年の夏、甲子園を経験した後、僕は松井にこう言ったんです。
『もう今のオマエは、誰かをマネする段階ではないと思うよ。これからは「松井裕樹」というピッチャーを作り上げていってはどうだ?』と。
あれから10年が経った今、松井の投球フォームはしっかりとした体 幹のうえに、下半身を使ったバランスのいい投げ方をするようになりました。一方で高校時代から変わらないものもあります。良い時の松井は、まるで前に飛んでいくように投げるんです。だからバッターからすれば、向かってくるイメージが今も昔もあると思います」。
そんな松井本人にとって、高校3年間はどんな日々だったのか。本の中でこんな言葉を紡いでいる。
「野球以外の部分もたくさん学ぶことができた3年間でしたし、当時の仲間とは会うとすぐにあのころの自分に戻れる。それくらい、今もみんなとは強い絆で結ばれていると思っています」
たくさんの言葉をくれた恩師の存在、さらには青春時代を駆け抜けた仲間たちとの出会い。それは今も松井裕樹というピッチャーを支え、人生の大切な財産になっている。
明日は「
中村悠平」編です。