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愛すべき助っ人たち

シーズン60本塁打の金字塔。およそ半世紀ぶりにプロ野球の頂点を塗り替えたバレンティン【愛すべき助っ人たち】

 

衝撃の2013年


2013年にシーズン最多の56本塁打を放ったバレンティン。最終的には60本まで積み上げた


 55本塁打。これは長くプロ野球で象徴的だった数字だ。1964年に巨人王貞治が打ち立てたプロ野球記録。85年に阪神ランディ・バースが迫ったものの54本塁打と届かず、2001年に近鉄のタフィ・ローズ、翌02年には西武アレックス・カブレラが並んだものの、ついに更新することができなかったものだ。歴史が動いたのは13年。最下位に沈んでいたヤクルトで、9月15日にシーズン56号を放ったのがウラディミール・バレンティンだ。

 11年に来日し、1年目から2年連続で本塁打王となっていたバレンティン。ただ、飛ばない統一球の影響もあった11年も12年も、数字は31本塁打と目立ったものではなかった。「初めての国へ来て、初めての投手と対戦していた1年目は漠然と、本能のままに打っていた。2年目は1年目の経験があったので、日本の投手の配球を考えながらプレーした」と、バレンティンは語っている。実際、1年目が打率.228、2年目が打率.272と、本塁打の数こそ変わらなかったものの、安定感が増したのは確かだった。

 そして「3年目は、2年間の集大成。1打席ごとにプランを持って、“力まない”をテーマに、配球を読みながら自分の打てるボールだけを打つように心がけた」(バレンティン)のが、迎えた13年だった。打率.330と、安定感も大幅に向上。バースやローズ、カブレラらは最後は勝負を避けられる場面も見られたが、頂点に迫るバレンティンに真っ向勝負を挑む投手が多かった。

イチロー(マリナーズほか)さんの影響が大きいと思ってるんだ。メジャーで次々と記録を塗り替えていったけど、日本人だからと勝負を避けたり、記録達成を邪魔するようなことはなかったからね」とバレンティン。イチローとバレンティンはマリナーズでチームメートとしてプレーしていた。

 バレンティンは最終的にシーズン60本塁打として、3年連続で本塁打王に。最下位チームながらMVPにも輝いた。19年までヤクルトでプレーを続け、通算288本塁打はヤクルトの助っ人ではトップ。キャリア通算301本塁打も、助っ人では4位の数字として残っている。

写真=BBM
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