『よみがえる1958年-69年のプロ野球』第5弾、1962年編が9月28日に発売。その中の記事を時々掲載します。 『よみがえる1958年-69年のプロ野球』1962年編表紙
阪神が国鉄に3連勝
今回は9月28日発売、1962年編から混戦が続いたセの最終局面について書いてみた。
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首位
阪神タイガースを追う大洋ホエールズは、9月22日の
中日戦(川崎)からスパートをかけた。
同日、
三原脩監督は9人中7人に偵察メンバーを使い、3対2の勝利。先発・
秋山登は5回、左利打者
ニュークの場面で一度三塁に入り、左腕の
権藤正利が打ち取ると、6回から再び登板だ。三原マジックがさえにさえた試合だった。
大洋はさらに中日を3タテしたあと、9月25、26日、阪神との最後の直接対決2戦を本拠地・川崎球場で迎えた。
まず25日、阪神は22日に
巨人を完封していた
村山実が先発するも初回先頭打者の
桑田武に21号ソロを浴び、0対3で敗れた。
驚いたのは、この試合で完封した秋山だ。翌26日も先発して
小山正明と投げ合い、2試合連続完封勝利で、大洋はついに首位。残るは阪神が4試合、大洋が7試合。大洋が一気に有利になったかに思われた。
しかし、続く9月29、30日の国鉄3連戦(甲子園)で阪神が3連勝に対し、同じ2日間で大洋が巨人に3連敗(後楽園)を喫した。
阪神の3勝目は前日に延長10回を1失点完投の村山が、この日のダブルヘッダー第2試合に禁じ手とも言える連投で先発をし、2失点完投で25勝目だ。
スタンドから座布団や空き缶が投げ込まれる混乱状態の中、村山のもとに阪神ナインが集まり、祝福の握手をかわした。
これで続く10月3日、最終戦
広島戦に勝てば、大洋が4連勝しても優勝だ。記者から「1日も早く胴上げをしたいでしょ」と言われ、藤本定義監督は「そんなこと今から言ってると、また負けちゃうよ」と笑った。
一方の三原監督は、不機嫌な顔で、国鉄がわざと阪神に3連敗したのではと示唆するような話をした。実際、シーズン中に大洋が最下位国鉄に敗れた際、三原監督が「死に馬に蹴られたよう」と発言。これに激怒した国鉄ナインが多かった。
しかし、国鉄のエース、
金田正一は「そんなことあるか」と一蹴。「死に馬と言ったのは大洋の人やないか。今度は生き残って勝てとは虫がよすぎるで」と皮肉った。
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