『よみがえる1958年-69年のプロ野球』第5弾、1962年編が9月28日に発売。その中の記事を時々掲載します。 『よみがえる1958年-69年のプロ野球』1962年編表紙
川上哲治監督は選ばれず
今回は1962年編の抜粋ではなく、オールスターのコーチの決め方の話です。
■
読者の方から電話があった。
1961年編4-5ページのオールスターの写真が違うのでは、というご指摘だった。
60年のセは優勝が大洋、2位が
巨人、3位が
阪神、パは優勝が大毎、2位が南海、3位が西鉄だった。
現在のルールでは前年王者が監督、ほか2、3位監督がコーチとなる。
ならばセは大洋・
三原脩監督が監督、巨人・
川上哲治監督、阪神・藤本定義監督代行がコーチ、パは大毎・
宇野光雄監督が監督、南海・
鶴岡一人監督、西鉄・
川崎徳次監督がコーチのはずだが、集合写真を見ると、セは三原監督はいいにしても、ほか国鉄・砂押邦信監督、
中日・
濃人貴実監督、パは鶴岡監督、川崎監督に加え、東映・
水原茂監督の姿があったからだ。
結論から言えば、写真は間違っていない。
実は当時、コーチは監督が選ぶことになっていた。
三原監督は「普通なら石本、藤本の経験者だろうが、あまりに自分の好みを強調するのはなんだし、従来の慣例にしたがって1、2位の監督ということで、砂押、濃人の両氏にしたわけです」と話している。
1、2位とはこの61年の順位だ。
ただ、細かいことを言えば、これも若干微妙で、国鉄は7月9日まで首位で球宴前時点は2位、中日は球宴前時点で2位、国鉄に合わせ、7月9日なら3位。
この時点でセの首位には7月15日から巨人が立っていた。巨人は首位の前は6月20日から2位だ。三原基準の国鉄1位、中日2位は6月18日くらいとなる。
ちなみに石本は中日コーチの石本秀一。球界の大功労者だが、監督ですらない。
パについては、大毎・永田雅一オーナーが優勝監督、
西本幸雄を解任したこともあり、後任の宇野光雄監督を辞退させ、鶴岡が監督になったらしいが、コーチに4位の阪急・
戸倉勝城監督ではなく、5位東映の水原を選んでいる。
これは別にこの年だけでない。それまでも必ずしも前年順位に応じたものではなかったが、この年に関しては「三原監督はなぜ川上監督を選ばなかったのか」という批判はあったようだ。
策士だけに本心は分からない。