また違う石ころがあったか
表紙
現役時代、
中日ドラゴンズ、
西武ライオンズ、
千葉ロッテマリーンズで活躍した外野守備の名手・
平野謙さんの著書『雨のち晴れがちょうどいい。』が発売された。
両親を早くに亡くし、姉と2人で金物店を営んでいた時代は、エッセイストの姉・内藤洋子さんが書籍にし、NHKのテレビドラマにもなっている。
波乱万丈の現役生活を経て、引退後の指導歴は、NPBの千葉ロッテ、北海道
日本ハム、中日をはじめ、社会人野球・住友金属鹿島、韓国・起亜タイガース、独立リーグ・群馬ダイヤモンドペガサスと多彩。
そして2023年1月からは静岡県島田市のクラブチーム、山岸ロジスターズの監督になった。
これは書籍の内容をチョイ出ししていく企画。今回はドラゴンズ時代の1982年の日本シリーズの話です。
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リーグ優勝のあとが西武との日本シリーズです。西武は
廣岡達朗さんが監督になって、埼玉移転後、初めての優勝でした。
最終戦から5日後が第1戦と時間がなく、僕らは相手の情報がほとんどなく、日本シリーズ用の練習もまったくしていませんでした。
1、2戦はナゴヤ球場でしたが、どちらもボロ負けで、試合のあと物が投げ込まれて大変な騒ぎとなりました。選手はリーグ優勝でお腹いっぱいになっていて、なんとなく「日本シリーズはおまけ」みたいな気持ちだったのですが、球場に来たファンにしたら「負けるところを見に来たんじゃないぞ!」ということでしょう。
それでも西武球場に行って連勝し、タイです。
迎えた第5戦、ほとんど打てなかった僕の数少ないヒットが好機に出ました。
0対0の3回、
田尾安志さんがショートの
石毛宏典へのゴロを打ち、石毛が一塁暴投で二塁まで進んだあとの打席です。
僕の当たりが一塁線を抜け、普通なら悠々の先制打なのですが、この打球がなんと一塁塁審の
村田康一さんに当たり、セカンドの前に弾みました。
打球の行方が見えず、抜けたと思って走っていたら、なぜか打球をセカンドの
山崎裕之さんが捕っていてびっくりです。三塁を回っていた田尾さんは三塁コーチに止められ、必死に三塁に戻ったのですが、タッチアウト。田尾さんも、何がなんだか分からなかったと思います。「審判は石ころと同じ」と言われましたが、あんなシーンは初めてです。
結局、この試合に負け、6戦目も負けて終わりです。あの『石ころ』がなかったら、ドラゴンズが日本一になっていたかもしれないと言われましたが、どうだったでしょう。
また、違う『石ころ』もあったかもしれません。そんなに簡単じゃないでしょう。