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愛すべき助っ人たち

ラストシーンに「Nothing comes easy」…助っ人では異例の引退試合もあった中日のモッカ【愛すべき助っ人たち】

 

1982年、Vの使者


ナイン、ファンに愛されたモッカ


 歴代、人間味を感じさせる助っ人が多い中日。最もファンに親しまれた助っ人を決めるのは難しいが、最有力候補といえるのはVイヤーの1982年に来日したケン・モッカではないだろうか。数字では他の強打者たちには届かないが、使い古された言葉をあえて使ってみる。記録より記憶に残る優良外国人だった。

 82年といえば、近藤貞雄監督が“野武士野球”を掲げて8年ぶりのリーグ優勝に導いたシーズン。来日1年目のモッカは正三塁手としてレギュラーとなった。守備では平凡なミスが少なくなく、豪快なミスでファンを沸かせた(?)宇野勝との三遊間に漂う独特な緊張感も、荒々しさが持ち味の“野武士野球”では隠し味のようなものだったのかもしれない。

 モッカの打順は、主に三番。一番の田尾安志が首位打者を争う大活躍で、平野謙が二番でつないだモッカも全試合に出場して打率.311をマークしている。23本塁打と、助っ人の打者に期待されがちな長打では見劣りするかもしれないが、それを補って余りある安定感だった。モッカに続いたのが谷沢健一大島康徳、宇野、上川誠二中尾孝義と打線にスキはなく、チーム打率、本塁打ともにリーグトップ。優勝の行方は最終戦までもつれて、勝ち星では2勝だけ巨人のほうが上回ったものの、引き分けが多かった中日が勝率の差で王座に輝いている。

 モッカのキャリアハイは84年だ。山内一弘監督となり、五番がメーンになったモッカは82年に続いて全試合に出場。打率.316、31本塁打、93打点と打ちまくって、中日も巨人に1引き分けを挟む14連勝もあって大きく勝ち越して王座奪還に迫ったが、逆に負け越した広島の後塵を拝して2位に終わっている。そして翌85年も打率3割を維持する安定感を見せたモッカだったが、地元のホープとして入団した藤王康晴を三塁手として育てたい球団の意向で退団することに。最後は外国人の選手では異例の引退試合で送り出されている。

 チームメートにユニークなプレゼントを贈ったモッカの最後のメッセージは「Nothing comes easy」(努力なくして得るものなし)だった。

写真=BBM
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