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猛虎二番目の捕手

「吉田義男さんとのキャッチボールはすごかった。バケモノかと思いました」/辻恭彦著『猛虎二番目の捕手』

 

誰か分からずキャッチボール


『猛虎二番目の捕手』表紙



 11月7日、元阪神-大洋のダンプさんこと、辻恭彦さんの著書『猛虎二番目の捕手』。タイトルどおり1962年途中から1974年までの阪神時代のお話です。

 大洋時代以降は、この本が好評ならそのうちまたと思っています。

 以下はそのチョイ出し。今回は西濃運輸を退社し、阪神に初合流したときの話です。



 最初は確か8月3日だと思いますが、阪神が名古屋に遠征で来たとき、佐川直行さんと平井三郎さんに連れられ、宿舎の『みその旅館』に行きました。

 あいさつするだけのつもりだったのですが、ミーティングにも参加し、「じゃあ」とユニフォームに着替えさせられ、そのまま中日球場(ナゴヤ球場)に連れて行かれて、いきなり練習参加です。背番号は67が着いていました。

 当時はアップといってもストレッチもないし、外野のポール間を2回くらいランニングで往復したらすぐキャッチボールです。当然、知り合いは誰もいません。どうしようかと思っていたら、小柄な人が「君、辻君って言うんだよね」と声を掛けてくれ、「じゃあ、僕とキャッチボールをしよう」と言ってもらいました。

 それが吉田義男さんです。ショートのベストナイン常連でスーパースター。僕が自分を知っていて当たり前と思ったのでしょうが、まったく知りませんでした。

 ラジオならともかく、テレビの野球中継なんて滅多に見ない時代です。小、中学生のころ、時々、中日球場の試合は見に行っていたので、中日ドラゴンズの選手は多少知っていましたが、阪神の選手なんて誰も知らない。誰か分からないままキャッチボールをしていました。

 でも、すぐ「あれ、この人、すごいな」と思いました。体の動きがまったく違う。軽やかで、捕ってからの動きがよどみない。踏ん張りもせず、ヒュッと投げると、ボールがピューンと伸びていきます。

 僕も肩には自信があったので、「なんで、こんな小さい人が」とむきになって投げていましたが、吉田さんはどんどん離れていき、距離が遠くなってもまったく変わらず、涼しい顔をしてビュンビュン投げてきました。

 こっちは途中から汗だくです。でも、キャッチボールを終わって吉田さんを見たらまったく汗をかいてない。バケモンかと思いました。

 後日談もあります。平成14年(2002年)に阪神と巨人のOB戦が仙台であって、吉田さんに「辻君、君は僕と名古屋で最初にキャッチボールしたんだよな」と言われてびっくりしました。すごい記憶力です。卒寿(90歳)のお祝いパーティーで「130歳まで生きます」と宣言されたそうですが、間違いないと思います。

首脳陣のテストだったのか


 吉田さんは牛若丸と言われた華麗かつ堅実なショートの守備が有名です。

 ゴロは両手で捕りにいき、グラブに入ったと思ったら、もう右手につかみ変えていました。

 ボールがまだ回転していて突き指をしたこともあったそうです。

 動きが軽快で飛んだり跳ねたりもありましたが、難しい当たりも簡単そうにさばいてしまう方でした。

 キャッチャーの僕が一番助かったのが、二盗を刺すときの走者へのタッチです。これがすごくうまい。捕球とタッチがバラバラじゃなく、一体化していたんですよ。

 捕ったと思ったら次の瞬間、ベースの前にグラブがポンと置いてあって、そこに走者の足が来てアウトという感じです。動きが滑らかなので、僕の送球が少しずれても、いいスローイングをしたように見えました。ありがたいことです。

 あとで振り返ると、このときは首脳陣が僕の力を見ようと思っていたのかもしれません。遠征なのに背番号つきのユニフォームも準備してあったから、使えそうならそのまま連れて行く気だったのかもしれないですね(※ダンプさんはそのあと一人で虎風荘へ。チームはそのまま関東遠征)。

 吉田さんとのキャッチボールも藤本定義監督の指示だったのかな。ヘッドコーチの青田昇さんの前で「3本打て」と言われ、打撃練習もしましたが、残念ながらボテボテのゴロだけでした。
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