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愛すべき助っ人たち

ヘルメットを吹っ飛ばしつつ「ジャストミートを心がけている」 日本ハムV戦士のクルーズ【愛すべき助っ人たち】

 

勝負強さと安定感と


プエルトリコ出身で豪快なフルスイングが持ち味だったクルーズ


 まだ東京に本拠地を置いていた時代の日本ハム。東映から日拓を経てチームのニックネームもファイターズとなり、紆余曲折の時期を経て迎えた1980年代、2人の助っ人が新たな時代の到来を告げたように見えた。1人は“サモアの怪人”の異名もあったトニー・ソレイタ。そして、もう1人がチーム助っ人通算の“打点王”でもあるトミー・クルーズだった。日本ハム6年で通算466打点。ヘルメットが吹っ飛ぶほどの豪快なフルスイングが持ち味だったが、「自分はホームランバッターではないから、いつもジャストミートを心がけている」と語っていたように、勝負強さだけではなく安定感も魅力だった。

 実際、長打力ではソレイタや主砲の柏原純一に及ばなかったが、1年目の80年から四番打者を任されたクルーズ。当時のパ・リーグは前期、後期それぞれの優勝チームがプレーオフで対決してリーグ優勝を決める、いわゆる前後期制の時代で、日本の投手に慣れてきた後期には長打力も発揮して、7月から5試合連続本塁打、8月は月間9本塁打で打率.388、9月には6本塁打で打率.323と、まさにスキなし。後期優勝を争うまでにチームを押し上げている。翌81年は柏原に四番の座は奪い返されたものの、主に三番打者としてリーグ最多の30二塁打と真価を発揮。チームが日本ハムとなって初のリーグ優勝に貢献している。

 キャリアハイは、ソレイタが退団して迎えた84年。阪急(現在のオリックス)のブーマー・ウェルズが助っ人で初の三冠王となったシーズンだが、そんなブーマーに立ちはだかったのが西武スティーブ・オンティべロス、そしてクルーズだった。最終的にはブーマーに届かなかったものの、打率.348でリーグ2位。29本塁打、96打点とともに、打撃3部門で最高の数字を残している。

 打点は6年間で積み上げたもので、打撃タイトルとは無縁だったが、左打者ながら左投手を苦にしないシュアな打撃は武器。翌85年もリーグ5位の打率.321をマーク、6年間で4度目の打率3割だったが、19本塁打と長打では迫力に欠け、助っ人に長打を求める高田繁監督の構想から外れて、そのオフに退団している。

写真=BBM
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