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2023ドラフト

前田悠伍の評価は果たして?  今中慎二、辻内崇伸、岩田稔…大阪桐蔭高出身“左腕投手”の系譜

 

平成以降で春4度、夏5度の甲子園優勝。大阪桐蔭高は高校野球界をリードしている。実績にとどまらず、卒業後も各方面で活躍している傾向にある。2023年ドラフトでは1位候補として前田悠伍が注目されているが、同校からプロ入りした歴代サウスポーを振り返っていく。
※注:ドラフト年度は開催年度

プロ第1号は沢村賞投手


大阪桐蔭高の148キロ左腕・前田。2年春のセンバツ優勝、同夏は8強、主将として臨んだ3年春は4強と、甲子園で「世代No.1」と言える実績を残してきた


 大阪桐蔭高の左腕・前田悠伍は2023年の高校生のなかでも最も経験値が高い投手と言える。甲子園は2年春から3季連続出場。2年春のセンバツ大会は優勝し、秋の明治神宮大会では、2年連続で胴上げ投手となっている。今春は主将としてチームをけん引し、センバツ4強。今年4月、4年ぶりに実施されたU-18日本代表候補合宿でも早くから中心的存在となり、名実ともに「世代No.1」の座は揺るがない。

 9月に開催された「WBSC U-18W杯」(7回制)では台湾との決勝で先発。7回4安打1失点の好投で侍ジャパンU-18代表を初の世界一へ導いた。滋賀県出身の前田が大阪桐蔭高へ進学した理由の一つには、中学時代に在籍した湖北ボーイズの先輩で同じ左腕の横川凱(巨人)の存在があったという。

 春4度、夏5度の甲子園制覇で平成以降の高校野球界をリードしている大阪桐蔭高。ドラフト戦線においても、毎年、綺羅星のごとくスター候補の選手を輩出しているが、そのなかでも左腕投手でNPB入りしたのは過去に9人いる。

1988年中日1位の今中


 栄えある「プロ1号」となった今中慎二もサウスポーだった。今中が同校に入学した当時の校名は大産大高大東校舎。1988年に大産大高と分離・独立し大阪桐蔭高に名称を変更しており、今中は現校名になってから最初の卒業生となる。当時の大阪と言えばPL学園高の全盛期。今中の1学年上の世代には立浪和義(中日監督)、片岡篤史(中日一軍ヘッドコーチ)、野村弘樹(元横浜)、橋本清(元巨人ほか)らがおり、87年には甲子園を春夏連覇している。

 今中はPL学園高と1年秋の大阪大会で対戦し、敗れたものの失点はわずかに1(0対1)。甲子園出場はならなかったが、スカウト陣からは高評価を得ていた。そして、昭和最後の年となった88年のドラフトで中日の1位指名を受けて入団。以降は中日一筋で12年間プレーしNPB通算91勝。キレの良いストレートと代名詞とも言える100キロ前後のスローカーブを武器に、同じ左腕の山本昌(元中日)とともにダブルエースとして活躍。93年には17勝で最多勝のタイトルを獲得し、249イニングで247三振を奪って最多奪三振。さらに、最優秀投手(最高勝率)、ベストナイン、ゴールデン・グラブ賞とタイトルを総なめし、14完投など審査7項目をすべてクリアして沢村賞も受賞した。

2005年巨人1位の辻内


 大阪桐蔭高から大学や社会人を経ずに1位指名を受けてプロ入りした左腕はもう一人。05年に2球団が競合した末に巨人に入団した辻内崇伸だ。辻内は同年夏の甲子園にエースとして出場。春日部共栄高(埼玉)との1回戦ではスカウトのスピードガンで156キロを計測。国内の左腕投手ではプロアマを通じて最速となる数字をたたき出した。さらに、2回戦は藤代高(茨城)から当時の大会タイ記録となる19奪三振。準決勝で田中将大(楽天)を擁する駒大苫小牧高(南北海道)に延長の末に敗れたが、4試合連続の二ケタ奪三振で大会通算65奪三振は歴代2位(当時)だった。

 剛腕で将来を嘱望されていた辻内だったが、プロでは故障に悩まされた。2年目に左肘内側側副靱帯の再建手術を行ったのを皮切りに、左肩痛に悩まされる。7年目の12年には初めて一軍に昇格。プロ初登板の時が待たれたが、マウンドに上がることなく、そのまま出場登録が抹消されてしまった。翌13年オフには現役を引退。在籍8年で一軍での登板はならず、厳しい現実を味わった。

育成選手から這い上がった


2016年日本ハム1位の高山


 ドラフト1位ではないものの、高校から直接、NPB入りした左腕投手はさらに3人いる。16年にドラフト5位で日本ハムに指名されたのは高山優希だ。高山は2年春にリリーフで甲子園のマウンドを踏むと、2年秋は明治神宮大会に出場。高松商高(香川)との準決勝で150キロをマークして場内を沸かせた。しかし、翌年のセンバツは腰の不安もあって実力を発揮できず。プロ入り後も3年間は一軍出場がなく、育成選手として再契約。だが、その後の3年間でも結果を残せずに戦力外通告を受け、今季は関西独立リーグの堺シュライクスに在籍している。

2018年巨人4位の横川


 一方、育成選手から這い上がったのが横川凱だ。在学中は甲子園に4回出場。当時は柿木蓮(日本ハム)や根尾昂(中日)に次ぐ三番手投手だったが、3年夏の高岡商高(富山)との3回戦では現在のチームメートでもある山田龍聖(巨人)との投げ合いを制し、5回1失点。9奪三振で白星を挙げるなど春夏連覇に貢献した。18年のドラフトで巨人から4位指名を受けて入団すると、20年に一軍で初登板。21年と22年のオフには2年連続で育成契約となったが、今季は190センチの長身を生かしたフォームに変え、3月に支配下登録へ返り咲き。すぐに一軍で登板する機会を得ると、4月23日のヤクルト戦(神宮)で5回2失点に抑えて初勝利。柿木、根尾に先んじてプロの舞台で白星をつかむこととなった。その後も登板機会に恵まれ、4勝8敗2ホールドポイントの成績を残している。

 松浦慶斗は21年に日本ハムのドラフト7位で入団。20年夏の甲子園交流試合を含めて3度、聖地の土を踏んだ。3年夏は23年ぶりに降雨コールドゲームとなった東海大菅生高(西東京)との1回戦で先発。7回4失点で勝利投手になっている。プロではルーキーの昨季、一軍デビューを果たすと、自己最速を3キロ更新する153キロを計測。1回2失点で敗戦投手となったが、今後の飛躍が期待されている。

病と向き合いWBCで世界一


1988年ロッテ3位の川井


 さらに、大阪桐蔭高から大学や社会人を経由してNPB入りしたサウスポーまで範囲を広げてみると、対象の選手は4人いる。川井貴志は城西大から98年のドラフト3位でロッテへ。1年目から一軍で試合経験を積み、2年目にプロ初勝利を挙げて4勝。主に中継ぎを任され、02年には51試合に出場して防御率2.76の好成績。翌03年には自己最多の54試合に登板した。06年途中に楽天へ移籍。「ボブ」の愛称で親しまれ、当時の星野仙一監督からは「困ったときのボブ」と言われるほど信頼された。40歳となった16年に引退するまで18年にわたってプレーし、息の長い活躍を見せた。

 福井強は大阪桐蔭高からプリンスホテルへ進んだが野球部の廃部に伴い、特例措置によって1年早くドラフト解禁となった。そして、00年に西武から8位で指名されてプロ入りしたが、一軍登板はならなかった。福井の1学年上だった谷口悦司は高校卒業後に日本生命でプレーし、01年にドラフト4巡目で近鉄から指名された。05年には球団合併によりオリックスへ移籍したが、こちらも一軍での登板がないまま現役を退いている。

2005年阪神希望枠の岩田


 05年に関大から希望入団枠で、阪神でプレーしたのが岩田稔だ。プロ3年目には10勝を挙げ、翌09年には侍ジャパン日本代表としてWBCに出場。2試合に登板し、世界一に貢献した。さらに、11年と14年は2点台の防御率をマークしてともに9勝。15年には自己最多の170回1/3を投げて8勝をマークするなど、1型糖尿病と闘いながらプロ16年間で通算60勝の白星を積み重ねた。

 大阪桐蔭高のサウスポーの歴史を紐解いてきたが23年のドラフトで、前田がどのような評価を受けるのか注目だ。

取材・文=大平明 写真=BBM
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